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杉の巨木茂る興田神社(おきたじんじゃ)に伝わる厄よけの行事で、1月4日の早朝に興田神社や興田地区商店街で行なわれる。上半身裸になった42歳や60歳の厄男達が将軍木(かつのき)で作った小間木(護符)を入れた麻袋(蘇民袋)を奪い合う勇壮な祭り。

1月5日、志和八幡宮で一年の無事息災を祈願する裸参りが行なわる。4:30に火入れが行なわれ、5:30頃〜練り歩き、6:00頃に志和八幡宮に到着。6:20頃〜恒例の餅まきとなる。

1月8日8:30〜13:30、裸参りは、無病息災、家内安全、五穀豊穣を祈願しながら八幡平市平笠・宮田神社から八幡平市大更・八坂神社まで白装束に身を包んだ30人ほどの女性が、約12kmの道のりを5時間かけて歩き通すもの。冷水で水ごりをとった参加者は、神前で拝詞を唱え、9:00に宮田神社を出発。1719(享保4)年に岩手山の沈静化を祈願するため男性だけで行われたのが始まりで、太平洋戦争中に出征した夫や息子の武運長久を祈るために女性によって受け継がれ、今では全国でも珍しい女性による裸参りとなっている。

鳥海山大物忌神社吹浦口之宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃふくらくちのみや)で1月5日19:00〜行なわれる『五日堂大祈祷』。往古より五日堂護摩堂で焼いた餅をいただくと一年間無病息災に暮らすことができるといわれる。

1月5日夜、飛鳥神社の山門前にある仁王堂と本殿との間を走りながら3往復し、今年一年の無病息災と五穀豊穣を祈る。仁王堂前の「お清め場」では、桶の冷水を浴びせられる習わし。『裸参り』は、飛鳥神社の松例祭に参加する「松若勢」(まつわかぜ)と年男が、その前日に禊ぎのために相沢川に入ったのが始まり。

かつては出羽国の総社であったと推測される古社が酒田の八幡神社。877(元慶元)年、国司藤原朝臣興世が、京都石清水八幡宮を勧請し創建。1月6日の早朝、生木をねじり曲げて作った「ねじり木」を持ちより、八幡神社の拝殿の床をたたく鬼遺らいの行事が行なわれる。参加した信者に祭主から塩漬けのわらびが授与され、翌朝の七草粥に入れて無病息災、家内安全を祈る。

出羽三山に古くより伝わる、山伏達の越年行事。村の男達が白装束を着て行者となり五穀豊穣を祈願し、法螺貝の合図で地区内を練り歩く。見物客にはつきたてのおいしい餅が振る舞われる。1月6日には前夜祭が行なわれ、3種類の鍋料理が無料で提供されるほか花火も打ち上げられる。1月6日18:30〜なべ祭り(肘折いでゆ館駐車場)、花火19:00〜。1月7日9:30行者によるおふれ(肘折温泉街)、10:30〜餅つき(肘折温泉街薬師神社付近)、14:00〜15:00ご祈祷(肘折センター)。

1月10日、江戸時代から続く伝統行事で、国道112号沿いの十日町、本町、七日町や旭銀座、一番組商店街など沿道で『山形初市』が行なわれる。商業の株を象徴しての「かぶ」、長寿を表す「白ひげ」などの野菜、初あめ、団子木の縁起物や臼、杵、まな板などの木工品、家庭用品などの350軒の露店が立ち並ぶ。初市の起源は、最上義光公治世の当時、山形には定期の市が立つ市日町があり、それらの市の中心として十日町に「市神(いちがみ)」が祀られた。毎年1月10日に市神祭りとして十日町から七日町にかけて、多くの露店が立ち並ぶようになったのが始まりといわれている。

2008年1月4日(金)、相馬小高神社で行なわれる『新年大祈祷』。境内では大かがり火が焚かれ、一番お護摩祈祷が行なわれ、「纒振り」や「はしご乗り」が奉納され投げ餅が行なわれる。相馬小高神社は、1326(嘉暦元)年に相馬重胤が城を築き、以来12代285年に渡り相馬氏の居城となった小高城跡に創建。小規模な城郭ながら中世城郭の名残も見られ小高城址碑も建てられている。江戸時代の風俗や当時の野馬追の様子が描かれた「相馬野馬追額(うまのまおいがく)」を所蔵。相馬中村神社(相馬市)、太田神社(原町市)と並び妙見三社の一社として、毎年7月25日に開催される『相馬野馬追い祭り』で「野馬懸け」が行なわれる。

2008年1月7日(月)9:00〜16:30、磐梯ショッピングセンター「you・ゆー」駐車場で磐梯町初市を開催。市開きとして樽酒鏡開きや市神様入神式、新入学児童の学業成就と交通安全祈願祭などが行なわれる。また、10:00〜13:00に「とくとく商品券」が当たる抽選会も実施。露天市では風車や起上り小法師などの縁起物、名物の磐梯そばなどが購入できる。

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