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地鯉鮒(ちりふ)宿(現・知立市)と鳴海宿(現・名古屋市緑区鳴海町)の間にある東海道の宿場が有松宿で、愛知県内の宿場では往時の様子をもっとも色濃く残している。尾張藩の保護を受けて発展した有名な有松絞りが宿場の特産。今でも絞りの老舗などが軒を連ね、絞りの道具を売る店もある。防火を目的に、2階部分と家の側面を漆喰で塗り固めた「塗り篭め造り」の町屋が続くが、実際に生活している家なので外観のみ見学が可能。県指定文化財の服部邸(井桁屋)は反物やバッグなどの有松絞りを売る店。このほか市の文化財である岡邸、竹田邸、小塚邸は必見。

名古屋駅と名古屋城の間、四間道(しけみち)と呼ばれる道沿いに土蔵や町屋が軒を連ねる一角がある。名古屋城築城に伴い、それまでの尾張の中心地であった清洲から城下町機能の全てが移転し、清洲商人によって、堀川沿いに水運を利用する商家の街並みが形成された。1700(元禄13)年に大火があり、防火の目的や商業活動のため、道幅を4間(約7m)に広げたことにより、四間道という名が付いた。昭和61年に、名古屋市により「町並み保存地区」の第3号に指定。

瀬戸市は、「陶所(すえと)」が転じて瀬戸となったといわれる、1300年余りの歴史を誇る焼き物の町。「窯垣の小径」は、その昔、洞(ほら)などの窯場へ通う職人が往来し、窯から出された製品が運ばれていた道。現在は、窯道具を使った壁や塀の小径となっている。当時はこの狭い小道が洞の本道で、陶磁器を運ぶ天秤棒を担いだ担ぎ手や荷車が往来したという。登窯での焼成時にほかの釉薬がつかないように製品を囲ったエンゴロ、ツク、エブタなどが、壁や道に規則正しく並べられ、独特の模様がユニークな景観を生み出している。これが「窯垣」で、たくさんのエンゴロ使っているのでエンゴロの道とも呼ばれている。近くには資料館もあり、歴史と文化を紹介している。

常滑焼きの産地として知られる常滑は、およそ1000年前から焼き物が焼かれ、日本六古窯に数えられている。やきもの散歩道は、「陶磁器会館」を起点に、散策が楽しめる小径。石垣の変わりに土管を敷き詰めたユニークな土管坂や、レンガ造りの窯の煙突が立ち並ぶ、登り窯なども目にすることができる。若い陶芸作家の工房をのぞくのも楽しい。

『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん喜多さんがキツネに化かされたという松並木。旧東海道御油宿から赤坂宿の間は600mにわたって松の大木が立ち並んでいる。この松は1604(慶長9)年から11年の歳月をかけて650本のクロマツを徳川幕府の道路対策として徳川家康の命を受けた奉行の大久保石見守長安が植えたもの。藩政時代には幕府によって厳しく管理されていた。現在、東海道は県道374号(長沢国府線)となっており、街道時代の幅員のままだが生活道路(大型車両の通行は禁止)として車の往来も多く、排気ガスによる松の枯れ死が問題となっている。1752(宝暦2)年の記録では667本あった松は、御油松並木愛護会の尽力があるものの、平成13年度の調査では287本に減少している。

東海道の宿場町、御油(ごゆ)宿は、街道時代には本陣・脇本陣を含め62軒の旅籠が軒を連ねていた大宿。江戸から76里4丁と日本橋からちょうど400kmの場所に位置していた。現在も御油町には、昔ながらの街並みが残されており、旧東海道をのんびりと散策することができる。とくに観光地ではないので訪れる人も少ないが醤油蔵などが残され雰囲気もなかなか。御油宿の赤坂宿寄り(名古屋寄り)には松並木も残されている。また新居の関所での関所改めと浜名湖の渡船を避けた姫街道(本坂峠を越えて三ヶ日に至る本坂道)も御油で分岐し見附宿に至った。その追分(分岐)には、常夜灯と「秋葉山三尺坊大権現道」という標石が立っている。

東海道で唯一現存し、現役で営業する旅籠(はたご)「大橋屋」(街道時代の屋号は「伊右エ門鯉屋」)が残るのが赤坂宿。大火後の1733年(享保18年)時点で83軒の旅籠があったが、大橋屋は大旅籠に属する部類。間口23間、奥行き9間の「大橋屋」は、現在も旅館を経営しているが、入口に簡単なみやげ物を置いているので、買い物がてらに見学することも可能だ。建物は1716(正徳6)年頃の建築で2階には遊女の部屋も残されている。赤坂宿は江戸から36番目の宿場で、関川神社境内には、芭蕉の「夏の月御油より出でて赤坂や」の句も立っている。赤坂宿と御油宿の近さ(徒歩15分)を詠ったもので、ふたつの宿場が近いこともあって客引き合戦が繰り広げられた。

常滑の「やきもの散歩道Aコース」途中にある両側の壁に土管が埋め込まれた小さな坂道。明治に薪で焼いた土管と、昭和に石炭で焼いた焼酎瓶が左右の壁に使われている。足元の道には、土管の焼成時に使われた「捨て輪」と呼ばれる廃物が使われている。ちなみに土管の口をソケット型にした常滑土管は明治始めに考案されたもの。

国道247号の半田大橋から南に続く川のような半田運河沿いに黒板囲いの蔵が続いている。これが「蔵の町」と呼ばれる半田の中心地で、古来から盛んだった醸造業や繊維業が今へと受け継がれている。源兵衛橋と船方橋の間の両岸は1804(文化元)年創業、酢で知られる「ミツカン」の醸造場。ぷんと酢の香りが漂っている。日本唯一の酢の博物館、博物館「酢の里」(TEL0569-24-5111)もあり事前予約で見学も可能だ。また蔵の町散策コースも用意されている。

塩の道・中馬街道の「中馬」とは、江戸時代に信州の馬稼ぎ人たちがつくっていた同業者の組合で、物資の運搬に従事した人々をさす言葉。信州から年貢米やたばこ、三河からは塩などが馬の背で信州へと運ばれた。その重要な宿場だったのが足助(あすけ)で、街道沿いには昔ながらの町並みが残されている。とくに蔵造りのマンリン書店脇の「マンリン小路」は、記念撮影に絶好の場所。黒板張りと白壁の土蔵が左右に迫り雰囲気も満点。ちなみにマンリンという名前は、マンリン書店の屋号が萬屋で、当主は代々林右衛門を名のったことに由来。また。中橋と飯盛橋の間には、弘化2年(1845年)と記された標石も残されている。町営西町駐車場に車を入れ散策を。

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