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正式名は八事山興正寺。開山は1686(貞享3)年という尾張徳川家ゆかりの古刹で、密教と戒律の寺であることから「尾張高野」(おわりこうや)とも呼ばれている。高さ30mの五重塔は、1805(文化2)年から3年の歳月を費やし建立された塔で、国の重要文化財。塔そのものを本尊と見立てている。毎月5・13日の縁日には境内に露店が立ち並び、賑わう。また、山内は新緑、紅葉の名所としても有名で散策にも絶好の地。

笠寺観音は、正式名を笠覆寺といい、創建は736(天平8)年という古刹。雨でずぶぬれになった十一面観世音菩薩に、自分の笠をとってかぶせた心の優しい娘を藤原兼平がみそめ、妻として迎えたという玉照姫の伝説が残され、名付けの由来として伝えられている。東海道沿い、名古屋城の南に位置し、鬼門を守る「尾張四観音(おわりしかんのん)」のひとつに数えられている。境内には武蔵百年忌に建てられた宮本武蔵供養塔もある。6の付く日は縁日で、境内に「六の市」の露店が多数出る。

笠寺観音の宿坊として創立し、本尊の不動明王は紀州熊野新宮の本尊であったものが伝来、厄除満願不動として信仰されている。豊臣秀吉より授かった天満宮の一堂もあり、お酒をお供えると顔面が赤くなるとの言い伝えから、出世神酒天神として信仰され、尾張徳川家も代々葵の紋のお札などを寄付していた。現在は、学問の神様としても信仰を集めている。宮本武蔵も御三家筆頭の尾張藩に仕官しようと一時東光院に滞在した。武蔵が左右両腕で書き分けた「自筆天満天神書幅」や「自画像条幅」「自作木刀」を所蔵する。

万松寺は、1540(天文9)年に、織田信長の父、織田信秀により菩提寺として開基された古刹。十一面観音菩薩を本尊とし、1610(慶長15)年、名古屋城築城にあたり、現在の地に移転した。本堂には信長のからくり人形があり、10:00、12:00、14:00、16:00、18:00にからくり人形の舞を見ることができる。また、本堂の4階、絵馬堂には、片岡球子、平山郁夫などが奉納した絵馬を展示している。

正式には、真福寺寶生院といい、大須観音の呼び名で親しまれる寺。もともと尾張国長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市桑原町大須)にあった寺を徳川家康がそのあらたかなる霊験ゆえに名古屋に移したもの。以後、門前に大須商店街が発展し、名古屋屈指の繁華街となった。伽藍は戦災で焼失し、戦後の再建。収蔵する大須文庫には日本最古の古事記写本(国宝)も収蔵。毎月18日・28日の骨董市は大須名物。昭和30年に誕生した「尾張三十三観音霊場」の第一番。仁和寺、根来寺の文庫と合わせて「本朝三文庫」とも呼ばれる「大須文庫」は、日本最古の古事記写本(国宝『古事記賢瑜筆』三帖)など国宝4点・重文37点を含む貴重な文書を保存している。伽藍は戦災で焼失したが「大須文庫」は焼失を免れている。境内に「大正琴発祥の地」碑が立つが、大正琴は、大須の住人、森田五郎が明治45年に創案したもの。

正式名は覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)。明治33年にシャム国皇帝(タイ国王)から贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)と金銅の仏像を安置するため、明治37年に創建された寺。仏教各派が輪番で管理を行なう日本で唯一の超宗派の寺院で、本尊はシャム国王より下賜された釈迦金銅仏。15万平方メートルの広大な境内には遺骨を安置するガンダーラ様式の奉安塔、八相園と呼ばれる庭園、県指定の文化財・茶室草結庵などがある。毎月21日は弘法縁日。

徳興山建中寺は、1651(慶安4)年に、尾張藩主徳川光友が父・義直の菩提を弔うために開山した尾張徳川家の菩提寺。総ケヤキ造りの総門や三門は、創建当時のままに残されている。本堂は1787(天明7)年の再建で、本尊の阿弥陀如来を祀っている。昭和の再建である不動堂は、徳川代々の秘仏を安置し、開運、交通安全にご利益大。毎月28日は不動尊の縁日で盛大にご祈祷、護摩焚きが行なわれる。毎朝5:00から本堂にてお勤めが行なわれており、一般の参詣も可能。

瀬戸市街の北側の丘陵地にある1336(建武3)年に創建された臨済宗妙心寺派の古刹。1534年(天文3)に再建された本堂(国の重要文化財)や中国の儒教様式で造られた尾張藩祖・徳川義直( 源敬公)の眠る廟所(国の重要文化財)など見どころも豊富。各所の扉の彫刻は左甚五郎の作と伝えられている。瀬戸焼の板を漆喰で挟みながら積み上げた築地塀も見事。本尊は延命地蔵願王菩薩で学業成就、延命、安産、病気平癒、交通安全などにご利益がある。寺入口の土岐川沿いには名古屋の奥座敷ともいわれる景勝地 で、寺の周辺は広大な自然休養林となっている。新緑や紅葉の名所としても地元では有名。

二川宿のはずれにある小山、岩屋山の頂に鎮座する聖観音立像。1765(明和2年)、豊川に架かる吉田大橋の架け替え工事にあたり、それを請け負った江戸・下谷の大工たちが難工事打開に岩屋山上に建立したもの。その後、数多くの道中記や絵画の題材に取り上げられ、東海道を行く旅人の目印となった観音像。当時の像は戦時中に供出され、現在のものは昭和25年に再建されたもの。

松平4代の松平親忠が、1475(文明7)年に創建した寺で、松平家(のちの徳川将軍家)の菩提寺。桶狭間(おけはざま)の合戦にて今川義元が敗れたとき、大高城から松平元康(徳川家康)が逃げ帰ったのがこの大樹寺だ。家康は遺言で「位牌は大樹寺に祀るべき事」と遺し、松平家から徳川14代将軍までの位牌が安置されている。総門、山門と岡崎城は直列するという設計。1535(天文4)年に松平清康が建立した多宝塔は国の重要文化財に指定されている。

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