弘前城の南西に位置する寺町にある古刹。周辺には33もの寺院が建ち並び壮観。曹洞宗33カ寺をここに集めたのはいざというときには防御の役割も担わせるため。そのうちのひとつ長勝寺は津軽家代々の当主が眠る寺。1629(寛永6)年に2代藩主津軽信牧(のぶひら)が建立した高さ16mの三門、重厚な本堂、津軽藩の霊廟、嘉元四年(1306年)の銘が入った銅鐘、御影堂などいずれも国の重要文化財。
本州最北の五重塔。1667(寛文7)年、3代藩主の津軽信義の案により、藩創始以来の戦死者を敵味方の区別なく弔うために建てられた。10年の歳月をかけて完成した塔は高さ31m。弁柄(べんがら)の赤と胡紛(ごふん・貝殻を焼いて作った粉)の白のコントラストが見事。わざわざ遠く飛騨から名工を招いて造らせたといわれるだけあって、均整のとれた姿には品格すら漂っている。ちなみに最勝院は津軽真言宗五ヶ寺の筆頭の格式。
862年(貞観4)年、慈覚大師(円仁)の開山と伝えられる古刹で、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつ。宇曽利山湖の湖畔に建つ恐山菩提寺は7月、10月に開催される恐山例大祭で有名。大祭開催中ならイタコによる口寄せも本堂脇のテントの中で連日行なわれる。境内には温泉も湧き、4つの湯小屋が建てられている。うち3ヶ所は参詣者も利用でき、温泉で身を清めてから地蔵堂に参拝するのが慣わしだ。
史実では岩手県衣川で最期を遂げた源義経だが、津軽海峡を渡り北海道へ落ち延びたという『義経北行伝説』も残っている。龍飛崎付近の青森県三厩(みんまや)にはその北行伝説を裏付けるかのように、義経にまつわる史跡が多く、義経寺もそのひとつ。義経が龍飛崎を渡る際、荒れ狂う海を観音像に祈りをささげて鎮めたという伝説もそのひとつ。観音像は、小さな銀の仏像で、義経が海を渡って500年後、円空がこの地を訪れた際に、観音菩薩像を彫ってこの義経の観音像を納め、お堂を建てて祀ったと伝えられている。
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