45haの敷地に、池や季節の花が植えられた緑地公園。池泉回遊式の日本庭園、バラ園などが整備され、土・日曜、祝日には、池でボート遊びができる。園内に四季折々の花が咲き、緑あふれる園内の散策も心地よい。日本庭園にある茶室「松柏亭」では、抹茶(和菓子付300円)をいただくことも可能だ。柏レイソルのホームスタジアムにもなるサッカー場や、体育館などのスポーツ施設も揃う。
松戸市のほぼ中央に位置し、広々とした芝生広場、クヌギやコナラなどの雑木林など、自然をそのまま生かした50.5haの大規模な公園。千駄堀池にはバードウォッチング用の自然観察舎が設置され、カワウ、カルガモ、コサギなどを観察することができる。また、谷津(湿原)に木道が整備された自然生態園では、ガイド付の観察会も行なわれている。「みどりの里」では、果樹園や水田など農村風景を再現し、田園の景色を眺めながら、「里の茶屋」のだんごで休憩できる。
風車がシンボルのあけぼの山農業公園は、花の名所として知られる公園。なかでも春のチューリップは圧巻で15万本が植えられ見事。また芋掘りや田植えなどの農業体験ができる体験農場、みそやジャム作りができる加工実習館を設置。アスレチック(小学生以上が対象)、サイクリングコースなども整備され、家族で楽しめるのも嬉しい。バーベキューガーデンでの食事や地場産の農産物を購入することも。
江戸川河畔、松戸市下矢切(やきり)と東京都葛飾区柴又(かつしかくしばまた)を結ぶ渡し船で、旧水戸街道の一部。伊藤左千夫(さちお)の小説、『野菊の墓』の舞台としても知られており、日本の音風景100選にも選ばれている。現在は、柴又帝釈天(たいしゃくてん)へのアプローチとして利用されており、船は今も木造り。船頭さんが昔ながらの姿で船を漕ぐ姿は、なんとも風情がある。170mほどの川幅を8分ほどで渡してくれる。映画『男はつらいよ』のロケ地、細川たかしが歌ってヒットした『矢切の渡し』(昭和58年、石本美由起作詞・船村徹作曲)の舞台でもあり松戸側には歌碑が立っている。細川たかしは、『矢切の渡し』のヒットで前年の『北酒場』に続いて2年連続のレコード大賞を獲得した。
松戸市矢切(やきり)と葛飾区柴又(かつしかくしばまた)を結ぶ、矢切(やぎり)の渡しは、伊藤左千夫(いとうさちお)の純愛小説『野菊の墓』の舞台。伊藤左千夫は、万葉調で写生重視の『阿羅々木(あららぎ)』を編集、アララギ派の基礎をつくった歌人。小説『野菊の墓』では、明治30年代の矢切一帯の情景が描かれており、その一節を刻んだ文学碑が、下矢切・西蓮寺本堂の裏手に立っている。
松戸市戸定(とじょう)歴史館は、徳川慶喜の実弟で、水戸藩最後の藩主、徳川昭武の別邸「戸定邸」に隣接する歴史館。戸定邸は、徳川家の住まいが公開されているのは全国でもここだけで、「ちば遺産100選」にも選定されている。歴史館では、江戸時代から明治維新に至る激動の時代に、若くして隠居した昭武の生涯をわかりやすく解説している。戸定邸の調度品や徳川家伝来の写真など、ゆかりの品を常設展のほか、企画展などで公開。周囲は、戸定が丘歴史公園として整備されている。戸定が丘歴史公園は、「日本の歴史公園100選」に選定。
手賀沼は南北1km、東西16kmの細長い沼で、冬の渡り鳥の居留地でもある。中央付近の北岸に手賀沼公園が整備されており、公園にはミニSLやアスレチック、レンタサイクルなどがある。手賀沼公園から手賀沼に沿って、手賀沼漁業協同組合フィッシングセンター付近までの5.3kmに「手賀沼遊歩道」が整備され、途中の「我孫子市鳥の博物館」や水生植物園の見学もできる。水生植物園にはアヤメもあり、例年6月上旬〜中旬に見頃となり『あやめまつり』も行なわれる。「鳥の博物館」、「道の駅しょうなん」(県道船橋我孫子線・手賀大橋近く)など湖畔の6ヶ所には我孫子市あゆみの郷公社が経営するサイクリングのステーションがある。レンタサイクルは大人300円、小人100円。8月初旬には『手賀沼花火大会』、8月下旬には『手賀沼トライアスロン』が行なわれる。
我孫子(あびこ)駅南東・手賀沼河畔にあり、鳥の博物館としては、日本で初めてオープンしたミュージアム。水生植物や淡水魚、水鳥などが棲息、冬は渡り鳥の居留地でもある手賀沼周辺に棲息する野鳥の生態を中心に、沼の自然環境などを紹介。四季折々の姿を表現したジオラマ展示もあり、興味深い。隣接して、手賀沼親水広場や、水に関するミュージアム「水の館」もある。
野田を象徴する国内最大の醤油ブランド、「キッコーマン」の工場内にある博物館。「キッコーマン」の前身は、大正6年設立の「野田醤油株式会社」。茂木家、高梨家一族が合同で設立したこの会社は、のちに2度の社名変更を経て、現在も業界最大手に君臨する。館内では、映像やパネル展示で、醤油造りのいろはがわかるほか、1日6回の工場見学も実施(要予約)。見学には醤油のおみやげも付く。併設の売店では、オリジナル品も販売。
戦国時代に醤油造りが始まった野田。江戸食文化の浸透と江戸川水運の発達で関西の下り醤油を圧倒、1864(元治1)年、幕府によって「最上醤油」の称号を与えられると、関東の濃口醤油は全盛を迎える。大正6年、現在のキッコーマンへとつながる「野田醤油株式会社」が設立。江戸川の河畔には、現在も宮内庁に醤油を納める「御用蔵」がある。昭和14年築の蔵は、内部の見学は不可だが、国産原料を使い伝統製法で醤油の醸造が行なわれている。




