松戸市矢切(やきり)と葛飾区柴又(かつしかくしばまた)を結ぶ、矢切(やぎり)の渡しは、伊藤左千夫(いとうさちお)の純愛小説『野菊の墓』の舞台。伊藤左千夫は、万葉調で写生重視の『阿羅々木(あららぎ)』を編集、アララギ派の基礎をつくった歌人。小説『野菊の墓』では、明治30年代の矢切一帯の情景が描かれており、その一節を刻んだ文学碑が、下矢切・西蓮寺本堂の裏手に立っている。
新撰組隊長だった近藤勇は、尊攘派の制圧に活躍したが、旧幕軍派最後の抵抗である戊辰(ぼしん)戦争の際、下総で捕えられ、刑死した。その近藤勇が下総で陣屋を構えたのが、ここ。江戸川に架かる流山橋のたもとに建つ、酒造家・長岡屋という豪商の館に住まいを求めた。しかし1868(明治1)年4月3日の夕刻に自首、江戸・板橋で処刑された。のちに長岡屋跡は、地元の富豪・秋元家の所有となり、今では土蔵前に近藤勇陣屋跡の碑が立つのみ。
酪農のさとは、日本酪農発祥の地に整備された牧場。3.5haの敷地に広大な芝生広場や放牧地、散策路や親水公園も設置されている。房総は、古くは平安時代から、馬を放し飼いにし、朝廷へと納めていたと伝えられ、戦国時代には軍馬を生産、この地、嶺岡一帯(嶺岡牧)は安房の里見氏の牧場だった。江戸時代には幕府の直轄になり、1728(享保13)年に、8代将軍吉宗が、インドから白牛(乳牛)3頭を輸入し、飼育、乳製品を作った。このことにより「日本酪農発祥の地」として、千葉県の史跡に指定されている。敷地内に酪農資料館も建てられている。ちなみに白牛は現在も見ることができる。
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