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665(天智天皇4)年創建と伝わる道後温泉にある古刹。時宗の開祖である一遍上人生誕の地として知られている。本堂に安置される一遍上人立像は、室町期の肖像彫刻のなかでも傑作といわれ、国の重要文化財に指定されている。境内には明治28年10月6日(道後温泉本館が建てられた翌年)、正岡子規が夏目漱石とともに道後温泉を散策した時に詠んだ句碑や、斉藤茂吉の歌碑が立てられている。

西条市にある京都東福寺派の禅寺。木造仏通禅師坐像はアメリカのボストン美術館に日本の仏像代表として出展されたこともある名仏で国の重要文化財。本堂裏手にある庭園は、1430年頃の築造と推定され、四国最古の池泉観賞式涸古庭園で国の重要文化財(名勝)。裏山の一部を取り込んで造られた築山を中心に三尊石組などの立石が多く施され、池には亀島が浮かぶなど室町時代特有の手法を見ることができる。

愛南町御荘平城にある平城山薬師院観自在寺(かんじざいじ)。807(大同2)年、平城天皇の勅願所として、空海が創建した真言宗大覚寺派の古刹で、本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観音菩薩は空海の作と伝わる。幅広い信仰を集め、江戸時代には、宇和島藩主・伊達宗利の勅願所にもなっている。四国八十八ヶ所霊場第40番札所として門前町が開けたが、四国霊場1番札所からは最も遠いため、「四国霊場の裏関所」との別名も。本堂は昭和39年の再建だが、総欅造の山門は約200年前のもの。

三間平野を見下ろす小高い山の中腹に建つ、稲荷山護国院龍光寺。807(大同2)年、当地を訪れた空海が稲荷大明神を安置したのが始まり。明治の神仏分離令により、稲荷社として新しく本堂を建て、本尊も十一面観音となったが、もとの本尊が稲荷大明神だったことから、地元では「三間のお稲荷さん」として親しまれている。山門はなく、5石段を上ると本堂と大師堂が、さらに上ると稲荷神社があるという、おもしろい配置。3月第1日曜の例大祭もは多くの人でにぎわう。四国八十八ヶ所霊場第41番札所。

宇和島市三間町の田園地帯に建つ真言宗御室派の古刹。807(大同2)年、空海が楠の大木で刻んだ大日如来を本尊として開基。空海が牛に導かれ当地を訪れたという逸話から、牛馬など家畜の守り神として信仰され、最近ではペットの供養に訪れる人も多いとか。鎌倉時代の作と伝わる木造大日如来坐像、木造弘法大師坐像のほか、境内には元禄年間の再建と伝わる茅葺きの鐘楼があるのでぜひ拝見したい。四国八十八ヶ所霊場第42番札所。

明石寺の歴史は古く、欽明天皇(539〜571)の時代、天皇の勅願により創建。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となった。のちの822(弘仁13)年、嵯峨天皇の勅願により空海が伽藍を再興、これを霊場とした。また室町時代には西園寺氏の祈願所にもなり、武士たちの信仰も集めたという。明治の神仏分離令により、熊野神社は独立。現在の堂宇は1672(寛文12)年に宇和島藩主・伊達宗利が建立したもの。また本堂裏手には、西国巡拝の婦人が寄進した「しあわせ観音像」と西国三十三ヶ所の石像がある。四国八十八ヶ所第四十三番札所。

久万高原町の中央部にある真言宗豊山派の古刹。山号菅生山。その昔、百済から来た僧が十一面観音を山中に安置、その後701(大宝元)年に、文武天皇の勅願で寺が建立されたという。弘仁年間(810〜824)には空海も当地を訪れたとか。寺は過去3度の火災にあい、その度に再興されている。山の中にあり、杉や檜の老樹に囲まれて建つが、43番札所からの距離が95kmと遠く、「遍路ころがし」として知られる難所だ。境内には種田山頭火の「朝まいりはわたくし 一人の銀杏ちりしく」の句碑が立つ。後白河天皇の祈願逸話で病気平癒にご利益があるといわれる。四国八十八ヶ所霊場第44番札所。

久万高原町七鳥にある真言宗豊山派の岩屋寺。山号は海岸山。815(弘仁6)年、空海作の不動明王を本尊として創建、かつては菅生山大宝寺の奥の院であったという。寺域の周囲は、礫岩が侵食された岩峰の奇勝・岩屋(国の名勝)がそびえたつ独特の地形で、まさに霊山の雰囲気。山門から本堂までは、杉木立に覆われた266段の石段が続く。大師堂奥の山道を300mほど行けば、空海修行の場「逼割禅定(せりわりぜんじょう)」がある。また穴禅定と呼ばれる洞窟には、空海が掘ったといわれる霊水があり、今もこんこんと湧く。四国八十八ヶ所霊場第45番札所。

松山市浄瑠璃町にある真言宗豊山派の古刹。山号は医王山(いおうざん)。708(和銅元)年、行基が薬師如来を祀ったのが始まり。のちの807(大同2)年、当地を訪れた空海が荒廃した伽藍を復興したという。ご利益が多い寺として知られ、願いをひとつだけ叶えてくれる「一願弁天」、樹齢1000年と伝わるイブキビャクシンの大木は延命・豊作に、本堂脇の仏足石は健脚や交通安全に、仏手石は智恵や技能にと、まさに諸願成就の寺。四国八十八ヶ所霊場第46番札所。

松山市浄瑠璃町にある真言宗醍醐派の古刹。修験道の祖・役小角(えんのおづぬ)により開かれ、701(大宝元)年、文武天皇の勅願により創建されたと伝わる。のちの815(弘仁6)年、空海が再興、最盛期には、48の末寺をもつ修験道の道場として栄えたが、戦国時代に焼失。堂宇は近年再建のものだが、本尊の阿弥陀如来像は平安時代の名僧・恵心僧都(えしんそうず)の作とされ、50年に一度開帳される秘仏だ。また本堂と大師堂の間にある閻魔堂には「極楽の途」「地獄の途」と名付けられた短いトンネルがある。四国八十八ヶ所霊場第47番札所。

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