NHK大河ドラマ『天地人』ゆかりの地を訪ねて、山形県米沢へ
世にいう「直江状」の真偽は明らかではないが、豊臣秀吉の死後、上杉景勝は豊臣家の忠臣として徳川家康に宣戦布告。家康による上杉(会津)征伐が形成される。しかし進軍途中の1600(慶長5)年7月、西で三成挙兵の知らせを聞くと、家康は即座に反転西上する。家康としては、自分が留守にしている間に起こるであろう石田三成の動きは当然織り込み済みで、わざとゆっくり進軍していたといわれる。この時、12万の軍を率いて白河に布陣していた上杉軍は、家康をあえて追撃せず、兼続を総大将に据えて、庄内地方の領地奪還を目論む山形城主・最上義光と死闘を繰り広げた(慶長出羽合戦)。戦の最中に関ヶ原での家康勝利を聞いた兼続は、世の趨勢が決したことを悟り会津に退却。家康に敗れ去った上杉は、米沢30万石に大減封となる。

















