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tenchijinyonezawa01.jpg NHK大河ドラマ『天地人』ゆかりの地を訪ねて、山形県米沢へ

世にいう「直江状」の真偽は明らかではないが、豊臣秀吉の死後、上杉景勝は豊臣家の忠臣として徳川家康に宣戦布告。家康による上杉(会津)征伐が形成される。しかし進軍途中の1600(慶長5)年7月、西で三成挙兵の知らせを聞くと、家康は即座に反転西上する。家康としては、自分が留守にしている間に起こるであろう石田三成の動きは当然織り込み済みで、わざとゆっくり進軍していたといわれる。この時、12万の軍を率いて白河に布陣していた上杉軍は、家康をあえて追撃せず、兼続を総大将に据えて、庄内地方の領地奪還を目論む山形城主・最上義光と死闘を繰り広げた(慶長出羽合戦)。戦の最中に関ヶ原での家康勝利を聞いた兼続は、世の趨勢が決したことを悟り会津に退却。家康に敗れ去った上杉は、米沢30万石に大減封となる。

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夏の夜空を焦がす! 花火大会2009


北は北海道から南は九州まで、全国で打ち上げられる花火。今年は不況の影響で、中止となった大会もあるが、「こんなときだからこそ、不況風を吹き飛ばすために、ドドーンと打ち上げます」と頑張る大会関係者も多い。『プチたび』では、旬のイベントを日本屈指の情報量でお届けしているが、そのなかから夏の夜空を焦がす花火大会をピックアップ。
◆2009年7月25日(土)開催まで収録。以降順次アップの予定。

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NHK大河ドラマ『天地人』ゆかりの地を訪ねて、福島県会津若松へ

1598(慶長3)年、上杉家は越後を離れ、会津に国替えとなる。徳川家康等への牽制の意味も込め、五大老に列せられていた景勝を奥州の要として配したといわれる。この頃既に景勝の名代として政務一切を仕切っていた直江兼続は、秀吉の死により来る戦に備え、領内の支城や朝日軍道の整備など、軍備増強に追われた。領内の要衝には、向羽黒山城跡や兼続が道半ばで断念した神指城(こうざしじょう)跡がなどがあり、往時をしのばせる。

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NHK大河ドラマ『天地人』ゆかりの地を訪ねて、新発田・新潟・佐渡へ

大坂城で秀吉との対面を果たした後、越後に戻った上杉景勝・直江兼続主従は、新発田城攻略に乗り出す。1587(天正15)年10月、秀吉の後ろ盾を得た上杉軍は、約7年にわたり反乱を続けていた新発田重家をついに討ち果たし、越後国の支配を盤石のものとした。1589(天正17)年には秀吉の命により佐渡国を平定し、その後佐渡の鉱山支配も任されている。こうして上杉は、新潟の川湊と佐渡の金銀山という、国運営には欠かせない舟運の拠点と財源を確保して行った。

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NHK大河ドラマ『天地人』ゆかりの地を訪ねて佐賀県唐津市へ


各地を平定し豊臣姓を賜った秀吉は、やがてアジアの覇権を握るべく、朝鮮および唐(明国)への遠征を夢想するようになる。それが文禄・慶長の役と2度にわたる朝鮮出兵。その拠点として、東松浦半島の名護屋(現在の佐賀県唐津市)に城を築くよう号令するとともに、諸国の大名も集結した。当然上杉景勝も加わるわけだが、秀吉のお気に入りだった直江兼続には、上杉家の家臣にも関わらず大名並みの陣屋が与えられたというのだ。

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