
少しかがんで7世紀の平均身長の目線で見ると、「おおーっ!」と感嘆
飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築が法隆寺。世界文化遺産に指定された中心的な存在だ。推古天皇と聖徳太子が607年に創建した古刹は、塔や金堂を中心とする西院伽藍、夢殿を中心とした東院伽藍が往時のままに残されている。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも190件で、五重塔、金堂などは飛鳥時代のままの姿を留めている。五重塔は『日本書紀』に670(天智9)年の火災以降に再建されたとあるが、心柱の伐採が594年(聖徳太子が摂政の位についた翌年)であることが、年輪年代測定法により判明している。

12月上旬、午前9:30頃には順光で屋根瓦が光る
大仏開眼の大供養が行なわれた752(天平勝宝4)年に始まった歴史ある行事が、東大寺二月堂に伝わる「修二会」(しゅにえ・正しくは十一面悔過、通称「お水取り」)。大仏開眼の年に実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められた法会は、以後一度も途絶えることなく続けられている。本尊の十一面観音に、僧侶たちが世の中の罪や穢れを一身に背負って祈るという法会で、その法会のために造られた施設が二月堂だ。舞台といわれる松明を焚く場所、そして、背後に山を従えた音響効果。奈良に春を呼ぶという「お水取り」は、3月1日から2週間にわたって行なわれる。大仏殿を東へ歩き、鐘楼を経て二月堂に上がると、大仏殿ごしに奈良盆地を一望できる。東大寺は世界文化遺産に登録されている。

屋根瓦に初冬の光が降り注ぐ正午過ぎに撮影
日本最古の仏教寺院である明日香村の飛鳥寺(法興寺)は、平城京への遷都によって、710年に現在の奈良に移される。そのとき多くの寺は、平城京内に移ったわけだから、想像以上の引越騒動が繰り広げられたに違いない。平城京で元興寺(がんごうじ)と名前を変え、奈良時代には東大寺に次ぐという寺格を誇った寺も、平安京への遷都以降は、衰退の道を辿る。室町時代には一揆の戦火により南大門、中門、金堂、講堂が北に直線で並ぶ四天王寺式の大伽藍を失っている。創建当時から残っている建物は国宝に指定された極楽坊(曼荼羅堂)と禅室だけだが、注目は極楽坊の屋根瓦。元興寺は世界文化遺産に登録されている。

緑の柳を手前に入れたがこれも12月上旬、正午ころの光景。人工物は塔だけという絶景
奈良でもっとも人気のある景色で、セット販売される観光絵葉書にも必ず入っているのが猿沢の池から眺めた五重塔。興福寺の五重塔は、730(天平2)年に寺を建てた藤原不比等の娘、光明皇后が建立したという天平時代の奈良のシンボルタワー。その後、5回の焼失再建を経て、現在の塔は室町時代の1426(応永33)年頃に建てられたもの。面白いのは、その建設位置は創建当時から変わっていないこと。猿沢の池から眺めた場合、塔を配置するベストポイントは現在地しかないというのは、多くのカメラマンに共通の感想。しかも室町時代の塔は、日本一の高さを誇ったという見事な塔だ(現在は日本で2番目に高い塔)。興福寺は世界文化遺産に登録されている。

このアングルだと、撮影は午後の方がいいだろう。手前は金堂の一部
まずは写真を眺めて、問題を。薬師寺にそびえるこの塔は何重の塔? 答えは三重塔で、屋根と屋根との間に入っているのは裳階(もこし)と呼ばれるもの。白鳳時代の偉容を現代に伝える見事な塔だ。裳階を施した金堂や塔のたたずまいの美しさを「龍宮造り」と呼んで都の人々は目を見張ったという。塔は本来、お釈迦様のお墓(梵語の「ストゥーパー」)が中国語に音訳されて「卒塔婆(そとうば)」となり、それが日本に伝わって「塔」となったもの。塔の基部には仏舎利(釈迦の遺骨)を納めるのが習わし。薬師寺は680(白鳳8)年、藤原京に天武天皇が菟野皇后(うののひめみこ・後の持統天皇)の病気平癒のため建てた寺で平城京遷都とともに奈良に移された。日本に仏教が伝えられた時代のままに伽藍が残された、世界的にも貴重な歴史的なミュージアムといえようか。もちろん、世界文化遺産に登録。


