
二の丸と本丸をつなぐ詰門は国の重要文化財。1階は籠城用の塩蔵に。
一豊の土佐入国は、単に24万石への出世と喜べないものだった。当時、土佐は、桂浜に近い浦戸に城があったが、それまで土佐を本拠とし、関ヶ原で西軍に組みした長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の家臣が居座り、城下には「一領具足(いちりょうぐそく)」と呼ばれる土着の半農半士型の武士団が存在した。浦戸城奪取には「浦戸一揆」と呼ばれる一領具足の蜂起もあって、50日間に渡る攻防を要している。

高知城内に作られた千代の像。傍らには馬が
戦国時代、武士にとっての馬の善し悪しは、戦闘の勝敗を分けるだけでなく、名馬を持つことは武士のステータスでもあった。一豊の妻、千代が高価な名馬を購入するため、持参金、いわゆるへそくりを夫に差し出したという逸話は、「内助の功」を尊ぶ時代には大いに喧伝された話。ことの真相は高知城や、高知競馬場にいけばよく理解できる。

中級武士とはいえ立派な長屋門が出迎えてくれる
高知城下にはかつて掛川町という町が存在した。今は風情のない町名改変で堺町と呼ばれている一角が旧掛川町。高知城の築城と同時に行なわれてまっ先に造られたのがこの掛川町。その町には掛川から連れてきた大工、刀鍛冶、刀の研ぎ師、鉄砲師、金具師、鞘師などの給地職人(武士のためのものをつくる職人)を住まわせた。一豊の高知城築城は、命を狙われながらの城造りだったから5人の影武者を用意し、同じ装束で随行させたという逸話も残されている(これが「六人衆」)。武器を用意し、刀を研ぎながらの突貫工事だったから、この掛川町に住んだ給地職人は大忙しだったことだろう。

山内神社には夫婦円満を祈願する人も多いという
司馬遼太郎原作の『功名が辻』の舞台になった町で、もっとも山内一豊に思い入れが強いのは高知だ。藩祖として、今の高知県を築いたのは、そして高知の町を造ったのは、一豊との思いが強い。ガイドブックなどにはあまり載っていないために、遠来の参拝者が少ない社が、山内神社。

『ひろめ市場』では土佐の旬を味わうことができる
わざわざ高知まで来たのならぜひとも食べたい料理がたくさんあるはず。そんなときに重宝するのが『ひろめ市場』。高知城にも近い一等地で、土佐藩の名家老・深尾弘人蕃亜顕(ふかおひろめしげあき)の屋敷跡は、明治維新となって屋敷が消えてからも「弘人屋敷(ひろめやしき)」と呼ばれてきた。その屋敷跡に平成10年に誕生したのが、『ひろめ市場』で、フードコートと朝市(土佐の街路市)が合体したような賑やかな場所。

『やいろ亭ひろめ店』のカツオの塩タタキ
カツオのたたきは、ホテル高知プラザ直営の『やいろ亭ひろめ店』がおすすめで、麦わらで生のカツオを焼く「焼き切り塩たたき」が名物。新鮮なカツオを使うため店頭にその日のカツオの鮮度や脂ののりを☆印で表示するほど素材にもこだわりを持つ。カツオのたたきといえばポン酢などのタレを思い浮かべるが、高知では塩たたきをぜひ。

「キャンプのときは野球選手もよく食べに来ますね」と正木さん。
夜の屋台も高知の名物のひとつ。南国高知では、冬でも屋台であつあつのラーメンを食べる人で深夜まで大賑わいだ。関西パーキング前のグリーンベルトに店を出す『屋台 松ちゃん』はグルメとしても知られる掛布雅之さんがそのホームページで「皮はパリっつと中身はジューシー」と餃子を絶賛する店。掛布さんの他にも、現・ソフトバンクホークスの王監督が高知キャンプの際に立ち寄り、なんとあの松阪大輔選手と一緒に肩を並べてラーメンをすすった貴重なツーショット写真も残されている。「餃子に関しては、特注で作ってもらう皮が自慢」と店長の正木さん。豚骨、鶏ガラ、そしてネギなどのラーメン類も人気で開店と同時に満席になることも多い。塩ラーメン、醤油ラーメン各600円。餃子は600円。営業は20:00〜午前3:00、日曜休。


