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海を見ながら「開港浪漫」の散歩を楽しもう


何かと気ぜわしい年始に、手軽に旅できて、それでいて、思いがけない発見がある場所。そんな条件にピッタリの場所が浦賀港(神奈川県横須賀市)。浦賀港にはあまり知られていないが、今も港を横切る渡し船が健在。そして咸臨丸の出航の地などもあって、歴史散策には絶好。まずは品川から京浜急行の快速特急三崎口行き(久里浜行き)に乗り込もう。

西叶神社
浦賀港から社殿へと石段が続く。境内には金比羅様も祀られている。


品川から京浜急行の快速特急で堀ノ内まで44分。横須賀中央の次に停車する掘ノ内で浦賀行きに乗り換える。京浜急行は久里浜や三崎口に向かうのが本線と思いきや、実はあちらは快速特急が直通するも、久里浜線。本線は掘ノ内から浦賀に向かう快速特急の乗り入れのない線。どう考えても支線のイメージだが、こちらが本線。今回の旅は、「どうしてこの線が本線なの?」という素朴な疑問から始まる。

東浦賀を眺望
愛宕山公園から対岸の東浦賀(浦賀港の東側)を眺望


西叶神社からさらに南に5分ほど歩けば愛宕山公園。浦賀はもともと三浦半島屈指の天然の良港だったが、江戸湾の入口に位置するということから、1720(享保5)年に浦賀奉行所が築かれた。以後、江戸湾に入る船がいったん浦賀港に立ち寄ることになったため、江戸の玄関口として大いに賑わいをみせる。1853(嘉永6)年、ペリーが江戸湾に来航したとき、浦賀奉行所がまずその対応に当たったのは至極当然のことだったわけだ。


東京湾観音の立つ房総半島が意外に目の前に


「咸臨丸」出航の地ともなった愛宕山の麓は、江戸時代には回船問屋が建ち並んだ場所だ。海岸より一本裏手の道を選ぶなど路地に入ると、昔町特有の雰囲気が残されている。愛宕山公園から15分ほど歩くと、久里浜への川間トンネルとなる。その手前で左の海側の道を選び10分ほど歩くと、浦賀港の入口に突き出した灯明崎と呼ばれる小さな岬、小さな浜に着く。

浦賀湊の渡し船
朝夕は通学客も乗せるが、休日は散策に来る人も乗船


灯明崎から今来た道を愛宕山公園の下まで戻る。25分ほど歩いて、信号まで戻ったら(バス停紺屋町)、右手の海側に小さな船乗り場があることに気がつくだろう。これが浦賀港の東西を結ぶ渡船「愛宕丸」の乗船場。天然の深い入江を利用した浦賀港の東西を結ぶ市営の渡船で、1733(享保18)年に書かれた『東浦賀村明細帳』には渡し船のことが記され、それ以前の浦賀奉行所ができた1720(享保5)年頃には記録にないので享保10年頃に誕生した歴史ある渡船であることがわかる。広重がこの浦賀を描いたのは、ペリー来航と前後する時代だから、渡し船には広重も、「咸臨丸」の艦長だった勝海舟も乗ったと想像できるのだ。

東叶神社
背後の森は中世に城があった場所。明神崎という岬の突端にある


奇跡的に現代に残った渡し船の旅を楽しんだら、渡船場から海沿いを観音崎・かもめ台団地方面へ5分ほど歩けば東叶神社。初代の歌川広重(安藤広重)が風景版画『日本湊尽』(にほんみなとづくし)シリーズで「相州浦賀」の雪景色を描いた地だ。浦賀港の東岸にあり、石の鳥居は浦賀湾に面している。広重の絵は境内から灯明崎方面を眺めたもので、港には帆を降ろした帆掛け船が浮かんでいる。境内には1843(天保14)年に立てられた松尾芭蕉の句碑もある。「丹よ起丹よ起と帆はし良寒き入江哉」(にょきにょきと帆柱寒き入江かな)。実際に芭蕉がこの地で詠んだという記録はないが、芭蕉が江戸・深川に居を構えた1672(寛文12)年から10年ほどの間に、浦賀を訪れた可能性は大きい。

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