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【西叶神社】頼朝の源氏再興の夢が「叶う神社」

西叶神社
浦賀港から社殿へと石段が続く。境内には金比羅様も祀られている。


品川から京浜急行の快速特急で堀ノ内まで44分。横須賀中央の次に停車する掘ノ内で浦賀行きに乗り換える。京浜急行は久里浜や三崎口に向かうのが本線と思いきや、実はあちらは快速特急が直通するも、久里浜線。本線は掘ノ内から浦賀に向かう快速特急の乗り入れのない線。どう考えても支線のイメージだが、こちらが本線。今回の旅は、「どうしてこの線が本線なの?」という素朴な疑問から始まる。

京浜急行のルーツは、川崎大師参詣の足として明治32年に開業した大師電気鉄道(京都、名古屋に次いで全国3番目の電気鉄道)。横浜から三浦半島を南下する路線は、昭和5年に開業した湘南電気鉄道が前身。江戸時代から浦賀は、江戸湾の玄関口として栄えた町。その伝統から、浦賀と横浜を結ぶメインルートが開業も古く本線となったわけだ。


さてさて前置きが長くなったが、浦賀駅から浦賀通りを南に歩く。すぐ住友重機造船所跡(平成15年廃業)を左手に見る。さらに明治29年に完成したレンガ造りの浦賀ドック。日本丸、海王丸など1000隻以上の艦船を造船し「咸臨丸」の修理や日本最初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造したドックも今は再利用の道を模索する立場になっている。


駅から15分ほど歩くと右手に神社の石段を見るが、これが最初の目的地、西叶神社。神社の縁起によれば、1181(養和元)年に京都の高雄山神護寺の僧・文覚が石清水八幡をこの地に勧請し、1186(文治2)年に源頼朝が、源氏再興の願いが叶えられたことから、叶明神と改めたとされている。1692(元禄5)年に浦賀村が東と西に分かれたとき、入江を隔てて東側の叶神社を若宮、西側を本宮とした。必見なのは、天保年間(1830〜1843年)再建の総檜造りの神殿に施された見事な彫刻。後藤利兵衛という安房国(千葉県)千倉の彫刻師の若い頃の作品で、 その見事な仕事ぶりが認められ、利兵衛は幕府に彫刻師として採用されている。



35/14/19.1,139/43/16.9


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