
近代的な「昭和旭蔵」だが伝統的な酒造りも行なっている
大慈寺町は、北上川の川筋にあることから湧き水が豊富。全国新酒鑑評会で12年連続金賞受賞という実力派の蔵元が『あさ開』だ。創業明治4年という老舗で、岩手県を代表する酒造メーカーのひとつだ。昭和63年に完成した「昭和旭蔵」は、蔵のイメージを生かしながらも、ハイテク、手づくりの両ラインを設備する近代的な仕込み・貯蔵蔵。精米から瓶詰めに至るまでの醸造工程の見学ができる。

巨大な羅漢像が並ぶ異色スポット
あさ開から5分ほど歩いたところにある『らかん公園』は、不思議なスポットだ。何気なく歩いていると単なる児童公園のような雰囲気なので通り過ごしてしまいそうになるが、敷地の回りに配された石仏を見てびっくり。公園を取り囲むように高さ1〜2mの巨大な羅漢像が並んでいるのだ。大慈寺町にある祇陀寺(ぎだじ)の末寺・宗龍寺(そうりゅうじ)が、かつてあった場所で、十六羅漢像計16体と五智如来像5体の計21体がある。まさに知られざる石仏群といった感じだ。

原敬の寄進で再建された大慈寺の本堂
大正10年11月4日に東京駅頭で中岡艮一の凶刃に倒れた平民宰相・原敬の遺体は盛岡に送られ11月11日、南の寺町(寺ノ下寺院群地区)の中心的な存在の大慈寺に埋葬された。遺言には「死去ノ際位階勲等ノ陛叙ハ余ノ絶対好マラザル所ナレバ死去セハ即刻発表スヘシ」と大正デモクラシーを現出した原敬らしく、一切の叙勲を辞退している。その潔い姿勢は、大慈寺境内の墓石のも現れている。墓石に刻まれた文字は「原敬墓」の3文字のみ。「墓石ノ表面ニハ余ノ姓名ノ外戒名ハ勿論位階勲等モ記スルニ及ハス」という遺言が遺されていたのだ。

外見では分からないが本堂には吊り天井が
環境保護地区・寺ノ下寺院群の一角にある雰囲気ある禅寺が奕葉山久昌寺(えきようざんきゅうしょうじ)。奕葉山とは代々続く山という意味があるとかで、江戸時代の初め、1656(明暦2)年創建の曹洞宗の寺。1515坪という広い境内に、山門、吊り天井のある本堂などの建物が建っている。大慈寺同様に明治17年の大火で堂宇を失い、現存する建物はその後の再建。総ケヤキの楼門造りの山門は必見の美しさがある。山門に彫られた彫刻も素敵だ。山門の屋根にのった鯱は盛岡城戌亥の門にあったものと伝えられ、現在は庫裏の玄関に保存されている。

屋根がのせられた立派な共同井戸だ
北上川の伏流水が流れる南の寺町(寺ノ下寺院群地区)・鉈屋町。原敬の墓所である大慈寺と祇陀寺(ぎだじ)の境内からは清水が湧き、木管で共同井戸の水源とした。青龍水は今も現役の共同井戸。4段式になっていて、最上段が飲料用、2番目が米研ぎ用、3番目が野菜・食器洗い場、4番目が足洗用と定められているが、これも昔のままだ。青龍とは湧き出す祇陀寺の山号。

地元の人に大切に守られている
むかし京都から豪商鉈屋長清が盛岡にやってきて、釶屋山菩提院(やおくざんぼだいいん)という寺を建てたのが町名の起りの鉈屋町。鉈屋町は、城下町の風情を色濃く残す一角だが、そのシンボル的な存在がこの大慈清水。原敬の墓所である大慈寺から湧き出す水を地下に木樋(きどい)を通して配水した共同井戸。現在はポンプアップされているが、青龍水同様に地元の人がつくった組合が大切に維持管理している。当然、塩素殺菌などもないので、わざわざ名水をくみにくる遠来の人も多い。

惣門に面した店舗
盛岡の南の入口にあたる南の寺町(寺ノ下寺院群地区)は、盛岡の南の防御のために寺院を集めたという戦略的な町造りの名残りでもある。城下町の南の玄関口には惣門(そうもん)が築かれ、奥州街道沿いには盛岡の代表的な商人が店を構え、蔵が建ち並んでいた。今も蔵造りの建物が各所に残るが、その代表格が、岩手県の有形文化財に指定された『木津屋池野籐兵衛家住宅』だ。1834(天保5)年に建てられた昔ながらの商家が往時のままに現存している。


