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武田信玄の治世の中心、甲府へ


平成19年のNHK大河ドラマ『風林火山』。井上靖原作の同名の時代小説を、ドラマ化したもの。武田信玄の軍師である山本勘助(内野聖陽)、武田晴信(=信玄、市川亀治郎)という配役も話題を呼んでいる。 信玄が生まれたのは府中(現在の甲府)郊外の積翠寺(せきすいじ)。そして治世の中心は、 躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた=現・武田神社)だった。「人は石垣、人は城」と『武田節』に歌われたように信玄は、領地に本格的な城郭がなく、躑躅ヶ崎館を政治的・軍事的な拠点とした。

躑躅ヶ崎館
橋で渡るのは躑躅ヶ崎館の濠


四方を山に囲まれた甲州には、石垣を積み上げ、天守を築くような本格的な城郭ができたのは家康が天下をとってから。群雄割拠の戦国時代には砦的な山城しか存在しなかった。軍事・政治的な中心は、府中(現在の甲府)にあった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)。NHK大河ドラマ『風林火山』で登場する躑躅ヶ崎館は同じ山梨県の北杜市長坂町小荒間(小海線甲斐小泉駅近く)に造られたセットで(『風林火山館』として公開中)、実際の躑躅ヶ崎館の跡は、信玄を祭神とする武田神社になっている。

積翠寺
寺は行基を開山とする古刹


武田神社の裏手から北側を眺めると尖った山があることに気がつくだろう。これが、いざというときに立てこもる要害山。本格的な城をもたなかった武田氏だが、いざという守りのために、要害城を用意し、領土内の各地や支城、そして前線とは狼煙(のろし)を使ったネットワークで結ばれていた。上杉軍襲来などの情報は、この狼煙ネットワークを使って、府中(甲府)へともたらされた。信玄が生まれたのは、館ではなく、この要害山の山腹にある積翠寺(せきすいじ)。信玄は、要害山への避難時に生まれているのだ。

大泉寺
大泉寺は、信虎が創建した寺


平成19年のNHK大河ドラマ『風林火山』では仲代達也が好演した武田信虎。甲州領内の統一を果たし、武田氏歴代の居館のあった鎌倉街道の起点・石和(いさわ)から府中・躑躅ヶ崎(つつじがさき)へ館を移したのも信玄の父・信虎だ。信虎は信玄(市川亀治郎)によって駿河へ追放されるが、信虎の祈願所で、死後、その遺骸が埋葬されたのが、躑躅ヶ崎館に近い大泉寺だ。

信玄公の墓所
信玄公の墓所へは参道もある


武田信玄(市川亀治郎)は上洛途中で病に倒れ、その遺言によって、喪を3年間も隠し続け、さらに万一の外敵を恐れて、埋葬地を秘密にもしていた。そのためもあって、信玄の墓は甲州では大泉寺、恵林寺、信州の諏訪湖、長岳寺(下伊那郡阿智村駒場)、龍雲寺(佐久市)、紀州の高野山奥の院、三河(設楽町)の福田寺、京の妙心寺など全国各地に存在している。甲府市岩窪町にある墓は1573(元亀4)年に信州駒場で病死した信玄を密かに仮埋葬した地と伝えられている。

甲斐善光寺
重要文化財に指定された重厚な山門


川中島の合戦で、長野の善光寺焼失を恐れた信玄(市川亀治郎)が、1558(永禄元)年、御本尊の善光寺如来をはじめ、諸仏・寺宝類を奉遷するために建てた寺が甲斐善光寺。大切な善光寺の秘仏を安置する寺は、信玄がもっとも信頼する家臣、板垣信方(千葉真一)の所領する「板垣の里」に築かれた。千葉真一の熱演で、存在感の大きな板垣信方だが、実際も「武田四天王」のひとりで、信玄に重用された。信玄が出陣できないときには信濃出陣の総大将を務めたこともある。

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