プチたび > 特集 > NHK『どんど晴れ』の舞台へ 盛岡・北の寺町編

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NHKの連続テレビ小説『どんど晴れ』は、岩手県の盛岡市が舞台。主人公の浅倉夏美(比嘉愛未)は横浜のケーキ店の跡継ぎ娘。恋人の加賀美柾樹(内田朝陽)の祖母・カツノ(草笛光子)が営む盛岡の老舗旅館「加賀美屋」で仲居の修行を始めるというストーリー。舞台となった盛岡市は南部氏の城下町。盛岡に城を築いたときに城下の入口に寺町を造り、防御機能をもたせた。その寺町は昔のままに残されるが、とくに北の寺町である名須川地区寺院群と北山寺院群は、石川啄木、宮澤賢治ゆかりの地だ。盛岡城を起点に徒歩で散策するのがおすすめだろう。

三ッ石神社
岩に記された手形が「岩手」の地名のルーツでもある


盛岡の市街地に巨大な3つの石を御神体とする神社がある。それが三ッ石神社。8月1日から3日間、藩政時代からの伝統を誇る「さんさ踊り」が盛岡の夜を彩るが、その「さんさ踊り」はこの三ッ石神社に伝わる鬼伝説に由来。昔、悪事のかぎりを働く羅刹(らせつ)という鬼がいて、村人たちは三ッ石神社に退治を祈願した。鬼を捕まえた神は、二度とこの村にに来ないことを誓わせ、鬼はその証しとして巨石に手形を残して逃走。里人たちは大いに喜び 、三ッ石のまわりをサンサ、サンサと踊ったのが始まりという。鬼が二度と来ないと誓ったことは「不来方」(こずかた)という盛岡の旧名の由来で、さらに鬼が岩に記した手形が「岩手」という県名のルーツとなったという。盛岡城(岩手公園)から徒歩15分。

徳玄寺
この質素な徳玄寺に賢治は下宿していた


徳玄寺は、もともと五戸(青森県)にあった寺で、藩主・南部氏が三戸から盛岡に移るときに盛岡・寺町寺院群に移った寺。藩主の南部氏との結びつきを示すものとして寺の紋が、南部氏の家紋と同じということがあげられる。盛岡中学の生徒だった宮沢賢治は、寄宿舎の新舎監排訴の動きにより退寮となったとき、いったん清養院に身を寄せたが、大正2年5月から卒業までは、この徳玄寺に下宿をしていた。今もその下宿部屋が残されている。北の寺町・名須川地区寺院群の一角にある。盛岡城から徒歩20分。三ッ石神社から徒歩5分。

龍谷寺
山門は日本の道百選「寺町通り」に面している


明治4年〜明治28年まで石川啄木の母方の叔父・葛原対月(かつらはらたいげつ)が住職を務め、その縁で両親が結婚したという寺。さらに石川啄木も叔父・対月から詩歌の手ほどきを受けたという。1618(寛永7)年の開山で、境内には、国の天然記念物「もりおかしだれ桜」もある。明治37年1月8日、啄木は友人・阿部修一郎の姉・梅子の葬儀に参列のため龍谷寺に赴き、妻となる堀合節子に出会う。午後、姉(田村サダ)の家で夜8時過ぎまで節子と語り合い、将来を約束する。つまり啄木の両親、啄木自身と2代にわたっての縁結びとなったのが龍谷寺だ。盛岡城から徒歩20分。三ッ石神社から徒歩5分。徳玄寺から徒歩3分。

報恩寺
昭和の再建とは思えないほど重厚な山門


石川啄木が盛岡中学時代に北山寺院群周辺の風光を愛し、よく散策したというが、 詩集『あこがれ』のなかの「落瓦の賦」は報恩寺を詠ったもの。宮澤賢治も盛岡中学5年のときに参禅し「たそがれ思量惑くして」を残している。羅漢堂にある五百羅漢は、胎内の墨書銘から1731(享保16)年、17世の和尚が大願主として建立し、京都で9人の仏師によって製作されたことがわかっている。現在499体が現存しているが、作られた年代や制作者が特定できる貴重な羅漢像となっている。もちろん、啄木や賢治もこの像を眺め、詩作のヒントにしているに違いない。羅漢堂の開館時間は9:00〜16:00、拝観料300円。盛岡城から徒歩25分。龍谷寺から徒歩5分。

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