
この質素な徳玄寺に賢治は下宿していた
徳玄寺は、もともと五戸(青森県)にあった寺で、藩主・南部氏が三戸から盛岡に移るときに盛岡・寺町寺院群に移った寺。藩主の南部氏との結びつきを示すものとして寺の紋が、南部氏の家紋と同じということがあげられる。盛岡中学の生徒だった宮沢賢治は、寄宿舎の新舎監排訴の動きにより退寮となったとき、いったん清養院に身を寄せたが、大正2年5月から卒業までは、この徳玄寺に下宿をしていた。今もその下宿部屋が残されている。北の寺町・名須川地区寺院群の一角にある。盛岡城から徒歩20分。三ッ石神社から徒歩5分。














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