
軽井沢最古のキリスト教教会
軽井沢を避暑地として紹介した宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが創設した教会。メインストリートのはずれ、カラマツ林のなかに建つ簡素な木造の礼拝堂で、建物前にはショーの胸像、記念碑がある。避暑地軽井沢の歴史は、アレキサンダー・クロフト・ショーが明治初期に軽井沢に別荘を持ったことに始まる。建物は平成2年にかつての姿に復元されたもの。当時の軽井沢は鉄道の開通などで中山道の宿場町が廃れた時で、ショーも忘れ去られた旅籠を再生して別荘にしている。

外国人避暑客のピクニックスポット
御膳水(ハナレスプリングス)に源を発する小川がせき止められてできた池。カラマツ、白樺、モミジなどに囲まれた池の周辺には遊歩道が設けられ、遊歩道は一周20分ほど。古来はタンチョウも飛来し、渡りの季節には白鳥も姿を見せることから、避暑地軽井沢を開拓した外国人には「スワンレイク」の名で親しまれてきた。質素な生活を心がける外国人避暑池の休日の過ごし方はピクニック。とくにスワンレイクは手軽に歩ける場所で、オルガンロック(愛宕山)、テーブルマウンテン(離れ山)、サンセットポイント(旧碓氷峠)などとともに散策には絶好の場所だった。

美しいシダも茂るハナレスプリング
雲場池の水源となっている湧水で、長尾の涼泉、お水端と呼ばれていた。かつてこの場所は二條家の別荘があった場所で、明治天皇がこの水でいれたお茶を召し上がったことから今では御膳水の名で呼ばれている。明治から大正時代に軽井沢で避暑を過ごした外国人は、「ハナレスプリング」と呼んで親しんだ。クレソンも繁茂するほど清冽な水が湧き出し、水は川となって流れ雲場池へ。湧水口はホテル鹿島ノ森敷地内にあるが見学は自由。周囲には短い散策路も用意されており、ベンチで休むこともできる。盛夏でもここに来れば涼しく、外国人避暑客のお気に入りの場所のひとつだった。周囲の別荘地は、いかにも軽井沢らしい雰囲気があるが私有地への立ち入りは厳禁だ。駐車場はないので町営旧軽井沢駐車場に車を入れ、レンタサイクルまたは徒歩で。またはホテル鹿島ノ森でランチがてら見学を。

軽井沢に没した外国人が眠る
カラマツ林が美しい六本辻近くにある軽井沢霊園一角に、軽井沢に没した外国人が眠る外人墓地がある。19世紀から20世紀にかけて建てられた墓石が静かにたたずみ、古びた十字架に、外国人によって開拓された避暑地軽井沢の歴史がしのばれる。雲場池近くにあるので、散策途中に寄り道を。駐車場はないので町営旧軽井沢駐車場に車を入れ、レンタサイクルまたは徒歩で。

軽井沢の鹿鳴館と呼ばれた洋館
明治38年に落成し、翌年から昭和45年まで、軽井沢を代表するホテルとして名を馳せた。駅から2kmも離れていたが送迎には馬車を使うなど文明的でハイカラなホテルとして繁栄した。現在は国の重要文化財に指定され、館内の一部が公開されている。地方大工の手による建築だが、明治の日本人によるとは思えないほど、完成度の高い洋館だ。茶色の壁に白くペイントされたアーチ型の窓枠、軒を支える湾曲した腕木などに優れたデザイン性が現れている。内部にも天井の意匠やマーク入りの洋ダンスといった見どころが多数ある。入館は大人400円、小・中・高校生200円。開館は9:00〜16:30、無休。駐車場は30台(無料)。

避暑地らしい緑の散歩道「ハッピーバレイ」
旧軽井沢のはずれ、軽井沢万平ホテル裏手にある谷で、美しいカラマツ林の木立のなかに苔むした石垣と焼き石を敷き詰めた石畳の道が続く。周囲は静かな別荘地帯で、静かに散策を楽しむには絶好の場所。幸福の谷(ハッピーバレー)の命名は、明治時代にここに別荘を構えた外国人宣教師たちによるもの。この幸福の谷に別荘を構えたのが川端康成。昭和12年、『雪国』が文芸懇話会賞に入賞すると、逗留先の軽井沢の宿から東京の授賞式に出席、真っ直ぐ軽井沢に戻って、賞金で外国人宣教師から幸福の谷の別荘(本人は「山小屋」と呼ぶ)を譲り受ける。堀辰雄の『風立ちぬ』の終章も幸福の谷の川端康成の別荘で完成している。駐車場はないので町営旧軽井沢駐車場に車を入れ、レンタサイクルまたは徒歩で。または軽井沢万平ホテルでランチがてら見学を。

軽井沢のシンボルとなっている教会
堀辰雄の『木の十字架』にも登場し、外国人宣教師の避暑地として発展した軽井沢のシンボル的存在となっている教会。軽井沢としては比較的に歴史は新しく、昭和10年、イギリス人牧師ウォワードが設立したカトリック教会だ。設計は巨匠アントニン・レイモンドで、「美の教会」「愛の神殿」などと形容され、アメリカの建築学会賞を受賞している。外壁はコンクリートの打ち放し、傾斜の強い三角屋根といった独特の美しいデザインだ。見学は信者の迷惑にならぬよう、くれぐれも留意を。見学は無料。見学は7:00〜日没(礼拝、挙式中は見学不可)。

街道時代に別れを惜しんだ場所
メインストリートの北はずれ、矢ヶ崎川にかかる橋が二手橋。小さな橋なのでほとんどの人が通り過ぎてしまうが軽井沢の歴史を物語る重要な橋だ。軽井沢が避暑地として名を馳せるのは明治中期以降。江戸時代までは信州の寒村に過ぎず、中山道の小さな宿場が、上州国境の碓氷峠を越える旅人の休息の地となっていた。軽井沢に泊まった旅人は、江戸に向かう場合、飯盛女(めしもりおんな)に送られてここまで来て、 名残りを惜しみながら東西二手に別れたことがその名の由来。旅人同士がお互いにこの橋の上で名残りを惜しみながら手を振り、東西二手に分かれたという説もあるがいずれにしろ街道時代の軽井沢の歴史を偲ぶ橋といえる。近くにある「つるや旅館」も「軽井沢万平ホテル」も街道時代には旅籠を営んでいた。町営旧軽井沢駐車場から徒歩15分。


