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NHK大河ドラマ『篤姫』ゆかりの地へ!


薩摩藩から江戸幕府13代将軍・徳川家定に嫁いだ篤姫(のちの天璋院)。宮尾登美子の『天璋院篤姫』を原作とした大河ドラマの主人公、ドラマでは宮崎あおいが演じる篤姫は、幕末の動乱期に倒幕軍の迫るなかで江戸城無血開城に尽力。版籍奉還後は、大奥の女人達の再就職や婚姻、最後の将軍となった徳川慶喜の助命にも奔走した。幕府が倒れたのちに、薩摩藩は篤姫に故郷の薩摩に戻ることを勧めるが、それを固辞し、江戸(東京)に残って生活することを選択。明治13年には箱根熱海で1ヶ月の湯治生活をも送っている。ちなみに徳川家定との結婚生活はわずか1年半余りで、24歳で仏門に入っている。

江戸城
江戸城本丸の天守閣跡には石垣(天守台)のみが残されている


篤姫ゆかりの地ということで、鹿児島がキャンペーンを行なっているが、歴史上の舞台の中心は、江戸城。江戸城本丸、二の丸、三の丸跡など篤姫ゆかりの地は皇居東御苑として整備され公開されている。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できる。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。篤姫も暮らした江戸城二の丸は本丸の東側に位置したが、1863(文久3)年に焼失。二の丸庭園には池泉回遊式庭園が残り、全国から集められた各都道府県の木260本が植えられている。


仙巌園から眺めた桜島


『篤姫』の放映で盛り上がる鹿児島県だが、現存するゆかりの史跡は、あまりない。1835(天保6年)、於一(のちの篤姫)は、島津家の分家のひとつ、今和泉島津家の長女として生まれている。生家は、鹿児島(鶴丸)城に近い上級武士が暮らす地域にあった。鹿児島市中心部にある鹿児島城から北東へ5km。磯と呼ばれる一帯に、藩主・島津斉彬(篤姫の将軍家輿入れを決めた幕末の藩主=大河ドラマでは高橋英樹が好演)は日本初の近代的な工場を築いている。西洋の技術を取り入れた、製鉄、造船業のほかに、ガラス工芸や木綿紡績などの産業を興している。

環翠楼
箱根山中で発見された神代杉を天井に使った大広間「神代閣」


明治13年に篤姫が箱根で湯治した宿は、皇女・和宮も滞在した塔ノ沢温泉の元湯。現在の元湯環翠楼だ。現存する建物は大正時代の建築で国の有形登録文化財。同時代に大奥で過ごした和宮終焉の地となったゆかりの宿で、篤姫は和宮を偲んだ追悼の和歌を残している。2食付1万8900円〜、TEL0460-85-5511、駐車場は20台(無料)。

薩摩藩渋谷屋敷跡
常盤松の碑が唯一残る薩摩藩屋敷ゆかりの史跡


薩摩から江戸に上った篤姫が暮らした薩摩藩の下屋敷があった場所は、なんと今の渋谷区に埋もれている。嘉永5年(1852年)に薩摩藩屋敷が江戸の外れ、吸江寺近くに造られ、その後拡張されて1万8000坪の広大な敷地となった。篤姫は、安政3年(1856年)にここから将軍家に嫁いでいる。かつて「常盤松」という大きな松があり、これが島津家ゆかりとの口伝があったことから、ビルの片隅に島津斉彬の家来が建てた常盤松の碑が今も残されている。ちなみに三田にあった薩摩藩上屋敷は、安政の地震で被災。さらに、海に近い上屋敷は黒船からの砲撃を受ける可能性もあると嫁ぐ前の篤姫を下屋敷に入れたのだという。

増上寺
篤姫もくぐった三門は徳川家康の命で建立


篤姫(徳川家定没後は天璋院)は、公武合体政策で皇女でありながら将軍・家茂に嫁いだ和宮(大河ドラマでは堀北真希)と嫁、姑の関係にあり、不仲ともいわれている。当然、大奥で権勢を誇った天璋院の嫁(和宮)いびりも推測されるが、徳川家茂が上洛していた際には、和宮とともに芝の増上寺でお百度参りしたとも伝えられている。家康が尊崇した黒本尊(阿弥陀如来像)は、災難よけの霊験あらたかな仏として有名だったのだ。本堂右奥には和宮の墓もある。

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