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きしめん、ういろう、五平餅、いなり寿司のルーツを探せ!


愛知、名古屋という地名のルーツはどこにあるのだろうか? そして、ういろう、八丁味噌、いなり寿司、五平餅、きしめんのルーツを求めて名古屋から三河へと美味究真の旅。地元の人も知らなかったような話題も続出だ。

餅文総本店ういろう
『餅文総本店』の「献上外郎」


名古屋が生んだ銘菓ういろうは、1659(万治2)年創業の「餅文総本店」がその元祖。尾張藩の御用商人だった餅屋文蔵が2代目藩主徳川光友に仕えた陳元贇から学んだのが名古屋におけるういろうのルーツだ。餅文総本店のういろうは、昔ながらの手作りを頑なに守り続け、ういろう独特の風味と食感は他では味わえないものがある。製造場所に冷暖房がないのも「外気の温度を人工的に変えることは味づくりには禁物」だから。藩の御用商尾張藩主に献上したという「献上外郎」は、白、黒、抹茶の3種あり各1棹700円。営業は9:00〜20:00、1月1日休、TEL052-691-5271。

まるや八丁味噌
昔ながらの大きな木樽で熟成する八丁味噌


八丁味噌(豆味噌)は愛知、岐阜、三重の東海3県だけで使われてきた特殊な味噌だ。酒造業を営む大田弥治右衛門が1337(延元2)年に生み出した自家用味噌がルーツで、その後、研究を重ねた弥治右衛門は、独自の製法による味を確立する。戦国時代には家康も戦場で活用し、その後、矢作川の水運を利用し江戸へと運ばれ、全国的なブランドとなった。料亭の味としても欠かせない八丁味噌のルーツである「まるや八丁味噌」は、工場見学も可能。見学は8:30〜12:00、13:00〜16:00、盆、年末年始休、TEL0564-22-0222。

レトロな雰囲気の『カクキュー八丁味噌』
レトロな雰囲気の『カクキュー八丁味噌』


家康が生まれた岡崎城より西へ八丁はなれた八町村、ここにカクキュー八丁味噌の始祖・早川久右ヱ門勝久が味噌の仕込みを始めたのが、八丁味噌のもうひとつのルーツ。岡崎市史によれば味噌醸造としては1645(正保2)年創業のカクキューが元祖。つまり味噌屋としてのルーツはこちらにあるというわけだ。蔵が並ぶ八丁蔵通りは、このカクキュー八丁味噌の蔵の脇の道。国の登録文化財になった蔵は資料館として再生、工場見学も受け付けている。見学は9:00〜12:00、13:00〜16:00、無休、TEL0564-21-1355。

豊川稲荷
豊川稲荷は鳥居があるが実際には禅寺だ


日本三大稲荷に数えられ、正式名称は曹洞宗妙厳寺という。1441(嘉吉元)年に東海義易禅師が妙厳寺を建立した際に、鎮守として豊川だき尼真天(豊川稲荷)を祀ったのが始まり。今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの武将の信仰を集めた。総門は総ケヤキ造り銅板葺きの堂々たるもので、奥の院には、人々の願いが込められた千本幟(のぼり)が林立している。御供えの油揚げを檀家が再利用したものがいなり寿司のルーツで、門前にはいなり寿司を味わえる店が軒を連ねる。ちなみに「稲荷寿司」は豊橋駅の駅弁を売り、豊川市が本社の壺屋の登録商標だ。

元祖いなほ稲荷ずし
名物の「元祖いなほ稲荷ずし」


いなり寿司発祥の地、豊川稲荷の総門前で「豊川さんに来てこそ門前の味」をキャッチフレーズにする老舗。名物の「元祖いなほ稲荷ずし」は、ルーツの味を彷彿させる伝統の味。ザラメを使って甘辛く煮た揚げがなんとも美味だ。五穀豊穣を願って5種の具(ひじき、にんじん、椎茸、くるみたけのこ)が入った五目いなりが7個630円。もちもちとした手打ちきしめんといなり寿司のセットも人気だ。ちなみにきしめんのルーツは、刈谷市一ツ木町芋川(ひもかわ)で、豊川を境に東日本では平打ちのうどんを芋川と呼ぶのが一般的。8:30〜17:00(品切れまで)、木曜休(1日、祝日、大祭は営業)、商店街無料大駐車場(UFJ 銀行横)を利用。TEL0533-85-6729。

『かめや』の五平餅
こんがりと焼き上がった『かめや』の五平餅


五平餅の名の由来は五平さんが作ったからとも形が神前の御幣(ごへい)に似ているからともいわれている。美濃、飛騨、木曽、伊那、奥三河と広範囲に広がっているが、どうやらその中心地・奥三河稲武の猟師が山仕事の保存食としてご飯に杉の串を刺したのがルーツと推測される。豊田市稲武町の国道153号沿いにある「かめや」は、おばあちゃんの味を受け継ぐという珍しい五平餅専門店。タレはさっぱりとした醤油ダレ。下焼きの加減にはとても気を使い、焼き上がりはとても香ばしい。これぞ、まさしくルーツの味と見た。営業は9:00〜18:00、火曜休、TEL0536-82-3556。

『きさん』の味噌煮込みいもかわうどん
『きさん』の味噌煮込みいもかわうどん


名古屋名物の代表格、きしめんのルーツには諸説あるが、三河国芋川(現在の愛知県刈谷市一ツ木町芋川、今川町、今岡町一帯)でつくられ、東海道の街道名物だった芋川うどんがルーツとの説が有力。尾張と三河を流れる境川の三河側に位置する芋川は、東海道の立場茶屋があった場所。江戸時代初期の街道ガイドである『東海道名所記』1658(万治元)年に「いも川、うどん・そば切あり。道中第一の塩梅よき所也。」と記されている。また『嬉遊笑覧』1830(天保元)年では、江戸でいう紐革(ひもかわ)うどんは芋川うどんがなまったもの」とも記されている。雉(キジ)の肉を具にして藩主に献上した説などをルーツとする人もいるが、井原西鶴の『好色一代男』に名物の麺類として、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に平うどんとして登場する芋川うどんがやはり歴史的裏付けもあって最有力だ。愛知県製麺組合もこの刈谷ルーツ説を採用している。ちなみに、平打ちうどんをひもかわと呼ぶのは、三河以東のことで、うなぎの背開き、腹開きと似た境界となっている。

万葉集の年魚市潟歌碑
「桜田へ」の万葉集の年魚市潟歌碑


愛知県という県名はもちろん明治以降のものだが、尾張国の郡名として「愛智郡」は奈良時代からある地名。愛智と記される前は年魚市、鮎市、吾湯市などとしるされ、「あゆち」と読んだ。地名のルーツとなった「年魚市潟(あゆちがた)」は名古屋市南部の笠寺から鳴海にかけて広がっていた入江。「桜田へ たず鳴きわたる 年魚市潟 潮干にけらし たず鳴きわたる」 と万葉集にも詠まれている。詠んだ場所は、今の桜田八幡社のあたりで境内には桜田勝景跡の碑も立っている。近くにある村上社も年魚市潟を見下ろす高台。境内にある楠木の大木は樹齢1000年以上、鎌倉時代には入江を渡る街道の道しるべにもなっていたという。

四間道
土蔵や町屋が軒を連ねる四間道


現在の名古屋城の建つ場所に最初に城を構えたのは大永年間(1521年〜1528年)に、尾張へ侵攻した駿河守護今川氏親(義元の父)。現在の名古屋城二の丸のあたりに本丸があり、那古野城と称した。のちに織田信秀(信長の父)がここを奪い、信長は清洲に移るまでこの地で育っている。名古屋の地名のルーツは名古屋城から名古屋駅にかけての一帯が那古野と呼ばれていたことに由来する。

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