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直江兼続が初めて城主となった与板城址

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与板城本丸跡からの眺め

のちに兼続の妻となるお船の実父で、与板城主だった直江景綱(かげつな)は、上杉四天王のひとりとして活躍した、謙信以来の直臣。だが景綱には男子がなかったため、娘・お船に上野国長尾家から婿を迎え、直江信綱(のぶつな)とした。ところが、御館の乱後の論功行賞のもつれから、お船の夫・信綱が殺害されると、その家名を継ぐ後釜として白羽の矢が立ったのが、樋口与六(兼続)だった。つまり兼続が直江家の婿に入った形で、与板城は妻・お船方の実家というわけだ。

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山頂には兼続自筆の書状を刻んだ石碑や城山稲荷神社、一本杉などが建つ


直江景綱や信綱の時代には、与板城(城山)から2km北に位置する本与板城(新田一族が築城)を主な居城としていたが、兼続の時代にはこの与板城が主に使用されていたといわれる。標高104mの山城には空堀跡や土塁、お船も使ったといわれる井戸「おせん清水」などが見られる。また山頂には実城(本丸)跡があり、城山稲荷神社や兼続の石碑も建てられている。登り口から山頂までは遊歩道が設けられており、所要は約15分。

カーナビには、以下のマップコードを入力すれば、駐車可能スペースまで誘導。
583 968 38*33



37/31/51.955,138/48/14.841

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