
南禅寺の三門は1628(寛永5)年の建立で国の重要文化財に指定されています。知恩院・三門、東本願寺・御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられています。石川五右衛門の「絶景かな」のせりふで知られるのは、この三門の上での名場面ですが、あくまで歌舞伎のなかの出来事。実際の五右衛門はほとんど史実の裏付けのない伝説の人物で、三門の完成も五右衛門の死後です。高さ22mの三門は急な階段を上って登楼することができ、楼上から京都の町並みを一望することができます。

南禅寺の三門周辺は『鬼平犯科帳』、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』、『雲霧仁左衛門』など時代劇のロケに使われる場所。三門脇に僧堂坂と呼ばれる坂がありますが、これは僧堂(非公開)脇の坂道という意味で、傍らの土塀の雰囲気がまさに江戸時代のイメージ。観光客もほとんどいないことからロケ地としてたびたび使われています。ベテランの観光タクシーの運転手さんはよくここを案内していますが、記念撮影にも最適ですのでお見逃しなく。

京都にも東照宮があることをご存じの方は、かなりの京都通です。南禅寺の塔頭、金地院の境内に金地院東照宮があります。国の重要文化財に指定される社殿は、京都唯一の権現造りで日光同様の鮮やかな彩色が施されています。金地院中興の祖である以心崇伝は、上野の寛永寺を開いた天海僧正とともに徳川家康の側近でしたが、家康の死後、天海僧正と意見が対立します。その際に、家康の霊を祀った東照宮を金地院に勧請し、家康の遺髪と念持仏を納める社殿として1628(寛永5)年に造営しました。

南禅寺の塔頭寺院のひとつで、応永年間(1394年〜1428年)に足利義持が洛北の鷹ヶ峯に創建。1605年(慶長10年)頃に以心崇伝(いしんすうでん)が南禅寺塔頭として現在の場所に移しました。特別名勝に指定される「鶴亀の庭園」は、小堀遠州作の枯山水庭園。白砂で海、岩で鶴島、亀島を表現し、背後の刈り込みで深山幽谷を表すという壮大な意匠が圧巻です。1611年(慶長16年)に伏見桃山城の一部を徳川家康から賜り移築された方丈は国の重要文化財。室内の狩野探幽・狩野尚信による襖絵が有名ですが、見学は事前の予約が必要となります。明智門は、1582年(天正10年)に明智光秀が母の菩提のため大徳寺に建立したものを明治元年に移築したもの。また境内の南奥には小さいながらも国の重要文化財に指定された東照宮があります。

日本で最初の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疎水を利用した「蹴上発電所」(明治24年竣工)。12月からは京都電灯会社に電力の供給を開始し、3年後に開通する市街電車もこの発電所の電気で走りました。旧蹴上第二発電所は明治45年に完成。現在は関西電力蹴上変電所として現役です。明治45年には蹴上浄水場も完成し、京都市内に上水道の供給が開始されています。

三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネル。高さ10尺(3.03m)、幅8尺5寸(2.58m)、長さ10間(18m)、その上には舟を運んだ鉄道、インクラインが通っています。トンネルの上に刻まれた文字は、京都府知事を務めた北垣国道筆による「雄観奇想」。琵琶湖疎水の施設にはそれぞれ、伊藤博文や山県有朋など、明治の元勲による揮毫が篆刻されています。北垣国道は田辺朔郎の疎水計画に賛同し、疎水を完成させた知事として有名です。ちなみに「ねじりまんぼ」とはレンガの組み方で、通常のレンガ組みと違ってねじらせた形で組み上げていくものです。工科大学の教科書『ランキン氏土木学』に掲載の「斜歪穹窿 (skew arch)」を採用したものといわれています。

滋賀県の琵琶湖と京都市を結ぶ琵琶湖疏水事業は、京都府の第3代知事である北垣国道の発案で、工部大学(現在の東京大学)を卒業したての田辺朔郎を工事責任者とし、明治18年に着工、明治23年に竣工。琵琶湖の水を京都の産業や水道に生かすだけでなく、インクラインによって舟を運ぼうという大胆なプロジェクトで、わが国初の日本人による近代的な土木工事となりました。インクラインは、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための線路の跡。三十石船をそのまま台車に載せて上下させることで、京都と琵琶湖に船による行き来が可能となりました。レンガは現在の山科区御陵原西町に専用の工場を設置し、1370万個を焼成しています。

南禅寺の塔頭寺院のひとつで、1339(暦応2)年、光厳天皇の勅許により虎関師錬(こかんしれん)が南禅寺を開いた大明国師(無関普門)の塔所として建立。1447(文安4)年の南禅寺大火で類焼し、応仁の乱で荒廃しました。1602(慶長7)年、歌人としても名高い細川幽斎が再興しています。幾何学的な石畳を中心にした枯山水庭園の方丈前庭と池泉回遊式の書院南庭という趣あるふたつの庭園があります。方丈前庭は、小堀遠州のアイデアを生かした庭園といわれ、白砂の庭を苔に縁取られた菱形の敷石が横切り、さつきの刈り込みが美しい枯山水庭園となっています。池泉回遊式の南庭は明治期に手を加えられていますが南北朝時代の雰囲気を今に伝える名園です。紅葉シーズンにも比較的静かに観賞できる穴場の寺といえるでしょう。

南禅院は南禅寺の塔頭寺院のひとつで、亀山天皇が1264年(文永元年)に造営した禅林寺殿の天上宮の跡地に建ち、天皇を祀るため別院とされています。応仁の乱の後、荒廃していたものを、1703年(元禄16年)に徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院により再建されました。方丈は再建当時のもので、狩野常信筆といわれる襖絵『柳鶯図』が残されています。心字池を配した池泉回遊式庭園は夢窓疎石の作ではないかといわれ、国の名勝となっています。






