プチたび > 特集 > 京散歩・知恩院で「南無阿弥陀仏」

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あまり知られていませんが、実は平安時代頃まで、一部の僧侶を除いて僧侶は国家公務員でした。仏教は公営事業で、国の安泰などを願っていたのです。僧侶が寺を建てるのも国の「認可」が必要でしたし、そればかりか庶民に教えを説くことも許されてはいませんでした。時は平安時代から鎌倉幕府へと動く、激動の時代。宋からは禅宗の高僧もやってきました。禅宗は厳しい修行が必要です。そんなときに、阿弥陀仏の慈悲は、すべての人々に平等に注がれており、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば救われると説いたのが知恩院ゆかりの法然上人です。法然上人は1212(建暦2)年の没。つまり2011年(平成23年)は、没後800年に当たり、800年大遠忌(おんき)も執り行なわれます。手を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱えたことがある人なら、ぜひともこの機会に知恩院に参詣を。

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知恩院の三門は、1621年(元和7年)、2代将軍・徳川秀忠が建立したもので、高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚という巨大な門です。現存する木造建築として最大の楼門で、国宝に指定されています。楼上内部は、仏堂となっていて、中央に釈迦牟尼坐像、脇壇には十六羅漢像が安置されているほか、天井や柱、壁などに天女や飛龍が極彩色で描かれていますが、残念ながら普段は非公開。11月に行なわれる京都非公開文化財特別拝観で公開されています。

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1175年(承安5年)に法然上人が設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。法然上人没後に弟子たちが廟堂を建て、徳川家の庇護のもと現在の壮大な伽藍となりました。法然の像を安置する大殿(御影堂)は、1639年(寛永16年)建立の大建築。奥行35m、間口45mという巨大な建物で、総本山知恩院の中心をなすお堂です。

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知恩院の大鐘楼といえば、年越しの除夜の鐘を突く模様がテレビで必ずといいほど放映される鐘です。京都方広寺、奈良東大寺と並び日本三楼鐘のひとつに数えられる高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70トンという巨大な鐘です。鐘は1636年(寛永13年)に造営され、40年ほどのちに大鐘楼が建築されました。除夜の鐘は、親綱1人・子綱16人の17人で撞くというダイナミックな鐘突きになります。一般の参詣者は見学ができますが突くことはできません。

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京都市の名勝に指定された知恩院の方丈庭園は、江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたと伝えられます。池泉回遊式の庭園で、方丈の華麗な建築とあいまって情緒あふれる風景を展開します。

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知恩院の奥まった地にある勢至堂の建つ場所は、親鸞聖人が庵を結び、教えを広めた地で、知恩院発祥の地として聖地の雰囲気が漂っています。建物も1530年(享禄3年)に再建したもので、現存する知恩院最古の建造物となっています。もちろん国の重要文化財に指定されています。

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法然上人の遺骨を安置する廟です。現在の御廟は、1613年(慶長18年)に再建されたもので、桃山様式の華麗な彫刻が施されています。内部は非公開で外観のみ見学が可能です。

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知恩院の一角にある友禅苑は、友禅染の始祖・宮崎友禅の生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園された庭園です。東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成された昭和の名園で、訪れる人も少ないので穴場のひとつといえるでしょう。

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徳川家康の次女で、池田輝政の夫人となり、姫路城で死去した督姫の追善のために、息子である池田忠雄が1631年(寛永8年)に創建した知恩院の塔頭。鶯張りの廊下を有する本堂は国の重要文化財です。良正院は督姫の法号です。

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青蓮院の鎮守社として平安初期に厄除け、旅行安全の神として建てられました。石段下の道は旧東海道・東山道にあたり、この辺りは京の七口のひとつ粟田口にあたりました。

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