
東山のふもと、熊野若王子神社から銀閣寺に至る琵琶湖疏水沿いの約1.8kmの小道。哲学者・西田幾多郎が散策し、思索にふけったことからその名が付き、「日本の道百選」にも数えられています。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉が楽しめ、四季を通じて風情を楽しめる道となっています。車の場合は市営銀閣寺駐車場に車を入れ、北から南へと歩くのが一般的ですが、満車のことも多いので注意が必要です。

正しくは慈照寺といいます。室町幕府8代将軍足利義政が、祖父の足利義満の北山殿(金閣寺)にならって1482年(文明14年)に建てた山荘、東山殿が前身。義政の死後、遺言によって臨済宗相国寺派の寺院となりました。1489年(長亭3年)に上棟した銀閣は宝形造り二層楼の観音殿で国宝。銀閣と呼ばれるは、金閣に対してその名が付いていますが、実は西芳寺の瑠璃殿を模して造られたもので、銀箔を貼られることはありませんでした。境内には庭師・善阿弥作といわれる見事な庭園があり、上段は枯山水、下段は池泉回遊式庭園となっています。
哲学の道近くにある法然上人ゆかりの寺。1206年(元久3年)、浄土宗の開祖・法然が、弟子とともに開いた念仏道場の旧跡と伝えられています。1680年(延宝8年)、知恩院第38代門主・万無上人が再興しました。カエデの参道、茅葺きの山門が山寺の雰囲気を漂わせ、境内は静寂そのものです。堂内は通常非公開ですが、春秋の2回、特別拝観を実施しています。墓地には谷崎潤一郎、河上肇ら、文学者や知識人の墓があります。
浄土宗の開祖・法然上人の弟子にあたる安楽上人ゆかりの寺です。鎌倉時代の初め、打ち首の刑に処された安楽上人の菩提を弔うために建立されました。江戸時代初めに現在地に移っています。桜、つつじ、さつき、そして紅葉と花と紅葉の時季のみに公開されています。法然上人は、弟子たちとこの近くに鹿ヶ谷草庵を結び、布教を始めました。

江戸時代の初めに、後水尾天皇が皇女を開基として創建されました。代々、皇女が住職をつとめたので、谷御所ともいわれる風雅な尼寺で、江戸時代中期の作庭手法を用いた、格調高い池泉観賞式庭園がありますが普段は残念ながら非公開です。春の椿の時期と、秋の紅葉シーズンには特別公開されています。駐車場はないので銀閣寺前の駐車場を利用します。
大豊神社の参道にある名水、椿ヶ峯の井戸(つばきがみねのいど)。かつて神社がご神体と仰いだ椿ヶ峯から湧き出す霊水で、甘露の水として地元では有名。今でも飲むことが可能です。哲学の道散策の途中、ぜひ渇いたのどをうるおしてください。

当初は椿ヶ峯をご神体とする山霊崇拝の社でしたが、887年(仁和3)年に宇多天皇の悩み平癒の祈願をして以降は公家たちに信仰されたのが大豊神社(おおとよじんじゃ)。応仁の乱の兵火などで王朝雰囲気の漂う社殿は失い、今ではひっそりとした穴場の神社となっています。注目は境内の大国社にある狛ネズミです。本来は狛犬のところここではネズミが社を守っています。大国主命を危機から助けたという神話から、犬ではなくネズミというわけです。阿吽の姿をしているネズミは被写体にも絶好です。

琵琶湖疏水分流沿い、哲学の道の起点となる位置に建ち、桜の季節や秋の紅葉も見事な熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)。1160年(永暦1年)、後白河上皇が紀州熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請して創祀した若王寺の鎮守社で、左京区聖護院山王町の熊野神社、東山区今熊野椥ノ森町にある新熊野神社(いまくまのじんじゃ)とともに、「京都三熊野」のひとつに数えられています。室町時代には幕府の尊崇を集め、1465年(寛正6年)には、足利義満により花見の宴が催されています。応仁の乱で荒廃しましたが、豊臣秀吉が再興しています。境内の御神木、みそぎの木として知られる梛(なぎ)の葉で作った、けがれ払いのお守り「梛守」や、着色されたマッチの芯の色で運勢を占うマッチおみくじなどがあります。

山源は、昭和の初めに創業という老舗で、哲学の道にちなんだ「哲学そば」、京都らしい鰊そば、生ゆばやモミジの形をした生麩の入った「もみじそば」が味わえます。永観堂の門前にありますがガイドブックなどにはあまり載っていない穴場の店といえます。営業は11:30〜17:30、木曜休。TEL075-771-4919。





