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諸大名の陣屋を一望する名護屋城天守台(天守閣)

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天守台に設けられた各陣屋跡の位置を示す案内板。
それぞれの陣屋が、丘陵や入り江など自然の地形を活かして配されていた様子がよくわかる


1590(天正18)年、関東・奥州を平定し事実上の天下統一を果たした豊臣秀吉は、その足がかりとして、まずは東松浦半島の名護屋に築城指示を出す。筑前・博多なども渡海拠点の候補地として名前が挙がっていたが、天然の良港をいくつも抱えること、壱岐(いき)・対馬を中継地にして半島へも渡りやすいという点から、肥前・名護屋(現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋)に落ち着いたという。


名護屋城は、築城の達人といわれた加藤清正(縄張りは黒田如水が担当)を筆頭に、諸将の普請によって築かせた城だが、もとはこの一帯を治めていた松浦党・波多守親の家臣、名護屋経述氏の居城・垣添城だったもの。1591(天正19)年に築城が始まり(一説には天正18年5月とも)、突貫工事の末、わずか数ヶ月で完成したという。総面積17万平方メートルもの巨大な城郭・名護屋城には、近江の石工集団(穴太衆)により、高さ十数mに及ぶ石垣が設けられていた。


標高約89mの山頂に、5層7階の天守台(天守閣)を備えた本丸があり、これに二の丸、三の丸、遊撃丸、馬場、山里丸、台所丸などが配された一大軍事基地であったが、秀吉の死後は廃城になる。江戸時代初期には城のほとんどが破壊されたため、現在は往時の石垣が残るのみ。しかし桃山時代の貴重な遺構であることから、周辺一帯は「名護屋城跡並びに陣跡」として国の特別史跡に指定。現在は佐賀県立名護屋城博物館によって復元整備が進んでいる。


なかでも22m×18mの天守台跡からは、巨大な礎石列や穴蔵が発掘、周囲からは金箔の瓦なども出土。戦時とはいえ、秀吉が天下人たることを世に示す豪壮な構造が明らかとなった。現在は展望台となっている天守台跡からの眺めもみごとで、一帯の陣屋跡や波戸岬の入り江までが一望のもとだ。駐車場は名護屋城博物館(50台、無料)を利用のこと。
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名護屋城関連だけでなく、朝鮮通信使の歴史など見応えたっぷりの名護屋城博物館

カーナビには、以下のマップコードを入力すれば、駐車可能スペースまで誘導。

967 104 082*47






33/31/36.399,129/52/17.7




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