福岡県と佐賀県の県境を流れる筑後川に架かる橋で、上下に動く昇降式可動橋としては日本唯一の存在だ。橋の長さは506.4m、昇開部は24.2m、昭和10年に国鉄佐賀線の架橋として完成したもの。昭和62年、佐賀線は廃線となり、橋は地域の観光の目玉として遊歩道に生まれ変わった。周辺も筑後川昇開展望公園として整備されている。9時台〜16時台までの毎時5〜35分が通行可能時間で、他の時間帯は橋が昇降の作動中。橋と夕陽の美しい展望スポットとしても人気で、日没後22:00まではライトアップを実施。
日本の歌謡界の巨匠で作曲家、古賀政男の記念館。明大マンドリンクラブを創始した政男は、4000もの曲を作り、その多くは「古賀メロディー」として多くの人の記憶に残されている。愛用のギター、自筆の楽譜などが展示された記念館では、古賀政男のプロフィールと時代背景が詳しく紹介されている。さらにはオーディオ室で主要100曲を聴くこともできる。隣接して公開された生家は、明治時代築の母屋に昭和初期に増築された離れがある。古賀政男は大正元年、7歳までここに住んでいた。
どんこ舟の通る柳川の静かな川沿いに位置する、白い蔵造り風の堂々とした建物。筑後地方の貴重な古文書の収集と保存活動を行なっている施設で、国の重要文化財「大友文書」や県の重要文化財「伝習館文庫」などを所蔵している。書庫内の資料や、日本史、地域史関連の図書を閲覧できる閲覧室があるほか、古文書をわかりやすく解説した常設展示室、企画展示室がある。
日本を代表する詩人、北原白秋は明治37年、20歳で上京するまでを柳川で過ごした。少年時代、母方の叔父や出入り商人から内外の物語や珍しい話を聞き、文学への憧れを募らせていったといわれている。記念館1階の第1展示室は、白秋に多大な影響を与えた立石12万石の城下町である柳川の歴史、民俗、祭り、伝統工芸を紹介。2階の第2展示室は、北原白秋の生涯を5つの時代に分け、彼の偉業を紹介。さらにビデオシアターでは3面マルチ画面で『白秋の生涯』・『白秋の詩歌』・『水郷柳川の旅』・『柳川の祭り』を上映している。
『からたちの花』、『雨ふり』などの詩集で有名な北原白秋は、明治18年に柳川の海産物問屋に生まれ、明治37年(20歳)までを柳川で過ごした。柳川でも一、二を争う豪商だったという生家は、明治34年に大半を焼失した。わずかに残っていた母屋を昭和44年に修復。昔懐かしい土間には白秋の遺品や著書が飾られ、白秋が勉強部屋として使っていたという大きな離れの書斎からは、裕福だった子供時代を伺い知ることができる。隣接して北原白秋記念館がある。
八女地方に数多い紅殻(べんがら)色の民家をイメージした温泉入浴施設、物産販売所、地ビール工房、レストランの複合施設。中心施設である温泉は、特産のお茶を利用した八女茶風呂、露天風呂、電気風呂、ハーブ風呂、サウナがあり人気を集めている。「旬鮮市場」(農産物等直売所)では八女茶はもちろん、地元産の野菜、果物、花やオリジナルの八女茶発泡酒、さらには酵母が生きている「矢部川ジ・ビール」を直売。レストラン紅殻は、1階が家庭料理や田舎料理など約40品目が並ぶバイキングレストラン。予約で2階和室を利用の懐石料理も味わえる。
星野村の「星のふるさと公園」にある日帰り入浴施設で、平成13年に誕生した公共の宿・池の山荘本館に併設されている。浴場は石露天付きの「みはらしの湯」と岩露天の「もりの湯」の2つで、男女が日替わりで交替(みはらしの湯が奇数日女湯)。「みはらしの湯」は星野村ののどかな山里風景や棚田、茶畑を見渡す眺望自慢の露天風呂。「もりの湯」は緑に囲まれ、新緑や紅葉が美しい露天風呂。泉質は単純アルカリ温泉(ph9.4)で肌がツルツルになる美人の湯。休憩棟では棚田米を使ったきらら弁当600円などが味わえる。
三井三池炭鉱を有し、かつてわが国最大の炭鉱の町として栄え、日本の近代化を支えた大牟田。大牟田と石炭産業の関わり合いを紹介する博物館が石炭産業科学館。石炭とは何なのか、どうやって採炭したのか、さらには江戸中期の三池藩の採炭から現代の採炭まで採炭の歴史を詳しく解説している。学校で使われてきた石炭ストーブなど生活関連の品々を展示する「ダイナミックトンネル」は、有明海海面下400mの坑道を再生した展示スペース。
カルタは大航海時代にポルトガル人が船中で遊んだものがそのルーツ。16世紀の末頃、三池(大牟田市)で日本版のカルタが考案され、絵柄の美しさと遊びのおもしろさから全国に広がっていった。京では、できのいいカルタを「三池」と呼んだほど。カルタ発祥の地、大牟田にあるカルタの歴史を紹介する資料館が三池カルタ記念館。貝の形にかたどった100枚組の歌かるた(江戸時代初期)、日本最古のカルタである天正カルタ(復元品)など珍しいカルタが展示されている。
石炭の輸送には大型船でも接岸できる港をもつことが悲願だったが、干満の差が5mに及ぶ有明海においては、到底無理だと思われていた。しかしそれでは積み替えに時間も費用もかさむため、三井三池炭鉱の初代事務長・団琢磨が新港築造を推進。明治35年から6年の歳月をかけ、三池港が完成した。ドック、内港、航路、外堀からなる港は後に拡充されたが、開港当時からの機械は今も現役。なかでも画期的だったのが閘門式水門だ。ドックの水位を常に一定(8.5m)に保つ水門の完成で、干潮時でも1万tクラスの大型船が着岸可能になった。しかも今なお当時の水流式ポンプによって操作されている、というから驚きだ。また時間があれば西港町の旧三井港倶楽部(TEL0944-51-3710)にも立ち寄りを。開港と同時にオープンした三井の迎賓館で、皇族方の接待にも利用されたもの。明治の優美さを今に伝える西洋建築だ。




