鴻臚館は、奈良・平安期に使われていた外交窓口のひとつで、平安京、難波、筑紫の3ヶ所あったなかでは最大規模の建物。遣唐使や遣新羅使などと共にやってきた外国からの客人をもてなす施設として、また日本から大陸へ向かう留学生や僧侶たちが天候待ちで滞在したのもこの場所と推定されている。もちろん唐や新羅、宋と交易する場所としても利用された。出土品には遠くイスラム系陶器やペルシャ系のガラス器まで含まれ、当時の交易範囲の広さを物語っている。館内ではそのまま保存された建物の柱跡や当時の建物の復元模型、数多くの出土品を見学できる。
特ダネ情報!
『日本書紀』に、688(持統2)年に新羅国使・全霜林を筑紫館(つくしのむろつみ)で饗応したとする記録が残るが、当時すでに難波津(現在の大阪城近く)に大和朝廷の迎賓館があり、これと区別するために筑紫の鴻臚館を筑紫館と記している。『魏志倭人伝』には、伊都国(いとこく)は「郡使の往来、常に駐まる所なり」と記されており、3世紀頃にはすでに外国の賓客をもてなす迎賓館があったと推定されている。昭和62年、平和台球場改修工事に伴う発掘調査で、鴻臚館の関連遺構が発見され、現在の福岡城跡に鴻臚館があったことがわかっている。奈良時代以前(筑紫館)の塀と門、奈良時代(筑紫館)の塀と掘立柱建物、平安時代の大型礎石建物などが確認されている。

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