小倉城主・細川忠興が1617(元和3)年に領内の総鎮守として小倉鋳物師町に創建した神社。昭和9年に小倉城内に移築された。厄払いの神として有名な須佐之男尊(すさのおのみこと)など13柱の神を祀っている。7月第3土曜をはさむ3日間には小倉祇園祭が行なわれる。天下泰平、悪疫退散などの祈願を込めて激しく打ちたたく祇園太鼓が前後に供え付けられた100以上の山車が町中を巡る。カンヌ映画祭でグランプリを受賞した映画『無法松の一生』にも登場し、祇園太鼓の激しい音色は世界的に知られることとなった。
757(天平宝字元)年の創始と伝えられている古社で、博多の鎮守神として厚い信仰を集めてきた。境内には、大イチョウや有名力士が持ち上げた力石などがある。神社が有名なのは、5月の博多どんたく・松囃子、7月の博多祇園山笠、10月の博多おくんちと福岡を代表する数々の祭が行なわれるからだ。とくに博多祇園山笠のフィナーレを飾る「追い山」のスタート地点として有名で、隣接の博多歴史博物館では飾り山笠などが常設展示されている。
901(延喜元)年、藤原時平らの陰謀によって右大臣から大宰府の権帥に左遷させられた菅原道真は、903(延喜3)年2月25日、南館(榎寺)で没する。その墓所に建てられたのが太宰府天満宮。京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社となっている。もともとは道真の没後、京に不吉なことが続いたため、「道真の祟り」と恐れられ、道真の霊を慰めるために建立されたもの。中世以降、学問の神様として親しまれ、現在でも受験の神様として大人気だ。現存する本殿は天正19年(1591)の建築で、心字池の橋のかたわらに建つ室町時代築の志賀社(ともに重文)とともに国の重要文化財。本殿前の御神木「飛梅」は、京の紅梅殿から太宰府まで道真を慕って飛んできたという伝説の梅。
博多の新春は十日恵比須の祭りで始まるといわれる「十日恵比須神社正月大祭」で知られる神社。香椎宮社家の武内平十郎が1591(天正19)年の正月、香椎宮、筥崎宮への参詣の帰途、潮先で恵比須大神像を拾い上げ、それを自宅に祀ったのが創建と伝えられる。自宅に祀った恵比須大神像を拝むと家運が隆盛、近隣の人が詰めかけたといい、以来、商売繁盛の神様と親しまれている。
宇佐八幡宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮の一つ。平安はじめの延喜21年(921)、醍醐天皇がご神託により大陸・玄海灘に面したこの地に国家鎮座のために、壮麗な社殿を建立。延長元年(923)筑紫国蚊田(かだ・現在の福岡県宇美町)で生まれた応神天皇(おうじんてんのう)を主祭神に、神功皇后(じんぐうこうごう)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀っている。元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願したが、1274(文永11)年の文永の役で博多は火の海となり、この筥崎宮の社殿も焼失している。吹いた神風(暴風雨)により元・高麗連合軍を撃退したことから厄除け・勝運にご利益大とされている。中世には足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉などの武将が参詣し隆盛した。現存する本殿、拝殿は1546(天文15)年、大内義隆が再建したもので国の重要文化財。楼門は1594(文禄3)年、筑前国領主・小早川隆景が建立、一の鳥居は1609(慶長14)年、初代藩主・黒田長政の建立でともに国の重要文化財。1月3日の「玉取祭(玉せせり)」と9月12〜18日の「放生会大祭」は福岡を代表する祭り。

