太宰府とは奈良から平安時代にかけて西日本全体を統括した大きな役所のこと。一帯には歴史を偲ばせる史跡が多く、太宰府市が観光モデルコースとして「太宰府歴史の散歩道」を設定。スタートは菅原道真を祀る太宰府天満宮で、枯山水の庭で有名な光明禅寺、九州歴史資料館、源氏物語にも登場する古刹・観世音寺、戒壇院、太宰府政庁跡、筑前国分寺、水城跡を巡るコースだ。所要時間は自転車で約2時間。駅の近くにレンタサイクルの店がある。
福岡県南西部、有明海に面する柳川市。筑後川左岸・河口付近に位置し、柳川藩12万石の城下町として栄えた歴史ある街だ。現在は城の掘割を小船(ドンコ舟)でめぐる、川下り遊覧が観光の名物となっている。柳川の地名は、中世の村名に由来するというが、戦国時代、蒲池(かまち)氏が沖端川を利用した水城を築城したことにより、町としての機能を備えた。その後1601年、田中吉政が筑後一円の領主となり、柳川に居城を構えたことから、本格的な城郭が造られ、幾重にも掘割が張り巡らされるようになったという。しかしもともとは当地が葦原の湿原だったため、人々が生活のために水を流す溝を掘り、土を積み上げ、そこに田畑を作り、家を建てた。これが掘割(クリーク)の原型となったとか。現在、市内を網目状に走る掘割の全長は、なんと470kmにも及ぶ。潅漑や防火用水として、今も活躍中だ。
筑紫山系に連なる丘陵で囲われた小盆地で、古処山のふもとにある秋月は、建仁3年(1203)、原田(秋月)種雄が配されて以降、豊臣秀吉によって日向高鍋に移封されるまで秋月氏の本拠地だった地。藩政時代には黒田5万石の城下町として栄え、今も石垣や城門、茅葺き屋根の武家屋敷が残り、往時には「甘木千軒、秋月千軒」と呼ばれれた町並みが残されている。この城下町の町割りは、1623(元和9)年、黒田長政の三男・長興が藩主になった際に行なわれたもの。中央に野鳥川が流れ、川の北側には町家が、南側には秋月城や上級家臣たちの屋敷が配され、山裾には寺社などが建てられている。地割をはじめとする城下の構造が今でもほぼ現存しており、58.6haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。代表的な建造物は、秋月藩の上級武士であった「戸波家」の旧屋敷と庭園で、「秋月郷土館」として公開されている。
筑紫平野にある吉井は、城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の中央に位置することから、江戸時代に宿場町として、明治以降は木蝋生産や酒造業などで繁栄。「吉井銀」(よしいがね)と称された有力商人の金融活動で財を蓄えてきた。うきは市吉井町の中央部には豊後街道沿いに漆喰塗りの重厚な町屋が連続するが、明治初期までに3回の大火に見舞われたことから、土蔵造りの家構えが発展した。この経済の最盛期であった大正期に完成した町屋・土蔵群と災除川と南新川沿いに広がる屋敷群を含む20.7haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、252軒の歴史的建造物が保存されている。
1587(天正15)年、筑紫広門が福島城を築城し、1601(慶長6)年、田中吉政が城を改修。その城下町として発展した八女。1621(元和7)年の田中家廃絶後は久留米藩の統治下に移る。藩政時代の初期に形成された城下町の町人町部分は、久留米藩の最大の商家町として発展。今も町割はもちろん、塗屋造りの町家を中心に江戸後期から昭和初期にかけての伝統的建造物が連なっており、19.8haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「堺屋」の屋号で酒造業を営んでいた旧木下家住宅は、明治41年築の豪商の家。「八女市横町町家交流館」は江戸時代の酒屋を再生したもので、ビジターセンター的な性格の施設だ。

