1600(慶長5)年、竹中半兵衛屋敷跡に創建した寺で、1688(貞享5)年に芭蕉が1ヶ月ほど岐阜に滞在した時に、この寺を拠点としている。芭蕉が暮らした12畳の座敷(庫裡にある「芭蕉の間」)が現存している。この寺に到着した時の挨拶の句が「やどりせむ あかざの杖と なる日まで」で、境内には句碑が立てられているほか、句碑の横には芭蕉が植えた紅梅も残されている。現存する本堂は、1662(寛文2)年に建てられたもので岐阜市の重要文化財。庫裡は江戸時代前期のものと推測されている。
特ダネ情報!
松尾芭蕉は、1688(貞享5)年、45歳の時に妙照寺の日賢上人に案内されて、滋賀の大津を6月6日に出立、愛知川、美濃赤坂を経て8日に岐阜に到着。妙照寺に1ヶ月ほど滞在している。長良川の鵜飼いを見物して、有名な「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟哉」を句を残している。日賢上人は、「しるべして 見せばや美濃の 田植え歌」の句で芭蕉を美濃へと誘っている。岐阜本町に住む呉服小間物商「萬屋」の主人・安川落梧は、岐阜を代表する豪商であるとともに岐阜俳壇の大御所。安川落梧はしばしば芭蕉を鵜飼見物に誘っていたが、その招きに応じて岐阜にやってきた。

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