プチたび > 岐阜県 > ガイド記事 > 神社 カテゴリの記事

乗鞍村営バスターミナルの横に建つ立派な社が、乗鞍本宮神社の中ノ宮。五十猛大神、天照大神、大山津見大神、於加美大神の4神を祀っている。乗鞍岳山頂を目指すなら、ぜひこちらに参拝し、道中の安全祈願をしたい。おみくじなどの授与が可能な他、直営の売店も営業。奥宮は剣ヶ峰にあり、こちらでは登頂記念に日付が入る登頂鈴大1500円、小1000円の授与もある。剣ヶ峰の背後に控える大日岳は神々のいます岩座(いわくら)とされる神域。本宮の奥の院とされ禁足の地となっている。乗鞍岳山頂の奥宮の信州側に建つ朝日権現は、東側を向いた小さな社だが、直下に小岩窟があり、江戸時代に円空上人が参籠した場所と伝えられている。

東海の人々は古来から遠くに浮かぶ雪の積もった白い山、白山を水神様(農業の神様)として信仰してきた。なかでも岐阜県郡上市白鳥町にある白山中宮長滝寺(長滝白山神社・長滝寺)は養老年間に泰澄大師が創建して以来、白山信仰の中心地、東海側の登山口として栄えた場所。境内には鎌倉時代作の石灯籠(国の重要文化財)など貴重な文化財が残され、最盛期のには六谷六院三百六十坊を数え、「上り千人、下り千人、ふもと千人」といわれた白山信仰の歴史を偲ぶことができる。

739(天平11)年、行基の開基と伝わる美濃国の一宮。『延喜式』神名帳にも国内唯一の名神大社で仲山金山彦神社と称したとあり、製鉄など金属精錬の神様を祀る古社。関ヶ原の合戦で諸堂宇の大半が焼失している。1642(寛永19)年建立の三重塔は国の重要文化財。ちなみに南宮とは美濃の国府の南に位置する宮の意。社殿の南西にそびえる南宮山(419m)は御神体。壬申の乱の際、天武天皇が美濃国一の宮であるこの南宮大社に祈願し、味方についた祀司が不破の関門を破ったのが戦勝への第一歩。天武天皇はこの宮で即位した。毎年5月4日には御田植祭、5日には神輿が通う例大祭、11月8日には金山祭という金属業の総本宮に座す祭神を讃える盛大な祭典が行なわれる。

下呂温泉森地区の氏神で鬱蒼たる森に囲まれた神社で須佐之男命(すさのおのみこと)などを祀る。下呂温泉に中世から伝わり国の重要無形民俗文化財に指定されている田の神まつり(美しい花笠をかぶることから花笠まつりとも呼ばれる)の会場となる。2月14日の祭り当日以外は、境内は訪れる人も少なくひっそりとしている。かつてはご神木である大杉もあったが、残念ながら焼失してしまった。

白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)は、日本三霊山・白山を開いた泰澄大師が養老年間に社域を拡張し天武天皇、聖武天皇の両朝に神剱、神馬の奉納があったという古社。藤原秀衝、今川義元、織田信長、柴田勝家などから寄進を受けている。現存する本殿は1856(安政3)年築で、正面の粟穂に鶉(うずら)、竜と脇障子の彫り物は県の重要文化財に指定されている。京都御所の御門の彫刻と同じ諏訪の立川和四郎2代・冨昌の作品。毎年5月第3日曜の春季例大祭には雅楽に合わせて舞いを奉納する「五段の神楽」が行われる。本殿から徒歩15分の裏山にある浄安杉は、樹高35m、樹齢1000年以上の古木。本殿の周囲には杉の大木、ブナ原生林となっていて「白山中居神社の森」として県の天然記念物に指定されている。

延喜式に記され、清和天皇の867(貞観9)年、従五位上の神位を授けられた国幣社。飛騨国の一宮として知られ、飛騨国の総鎮守。日本海、太平洋の分水嶺で、日本誕生伝説の地として知られている位山(くらいやま)には大昔、出雲の神々がこの山に降り立ち、飛騨一宮水無神社に歴史を記したという伝説が残り、今も飛騨一宮水無神社奥宮が鎮座している。水無と書いて「みなし」と読むが、もともとは水主の意で分水嶺に鎮座することと深い関わりがある。神社の神馬(しんめ)といえば白馬が定番だが水無神社では、左甚五郎作の「稲喰の黒馬」がある。昔、稲を食い荒らす黒い馬が現れ、村人は難儀していた。馬のあとをつけると、水無神社に入っていった。そこで村人は馬から目を抜いて出歩かないように戒めたという。左甚五郎13歳の作と伝わる黒馬には目がないことに注目を。雨乞いに霊験があるという。境内には、飛騨国中の産土神八十八社を鎮祭する摂末社もある。鳥居横に立つ樹齢800年といわれる目通り6.3mの「水無神社大杉」は岐阜県の天然記念物に指定。明治の文豪・島崎藤村の父で『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデル、島崎正樹は明治7年11月13日に宮司としてこの水無神社に赴任している。

中山道の大湫宿の産土神社で樹令1000年余の大杉(県の天然記念物)が御神木となっている。樹高は60m、幹周りは11mという巨木だ。大杉の根元に「神明の清水」が湧き、街道時代には旅人ののどをうるおした。同じような環境に生育していた目通り幹周囲7mの杉が伐採されたところ800の年輪が数えられたため、神明神社の大杉は樹齢約1000年と推定されている。

木曽三川の治水工事のうちでもっとも難工事だったのが宝暦の治水工事。御三家筆頭の尾張藩と幕府は、1753(宝暦3)年、外様大名の薩摩藩に長良川と揖斐川を隔てる堤の工事を命じるのだ。40万両の巨費をかけて工事は完成するが、工事責任者の薩摩藩家老平田靱負は、尾張藩や幕府への抗議として自刃という悲しい逸話を残している。工事完成後に薩摩藩士が故郷から日向松の苗を取り寄せ、背割堤に植えた松が成長し延長1kmの松並木となったものが千本松原。松原の起点である長良川大橋近くには平田靱負をはじめとする薩摩藩士を祀る治水神社がある。

創建は約1900年前に遡り、景行天皇14年と伝わる古社。祭神は垂仁天皇第一皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を祀っている。命は、椿原の地(現在の岐阜公園)に居を構え、辺り一帯の水路を整備し農耕の基礎を築き、人々の生活の安定に尽力したと伝えられている。景行天皇13年に逝去後、邸跡に鎮祭されたのがはじまりという。以来、岐阜の総産土神、諸願成就の神として、人々の篤い信仰を集めてきた。1539(天文8)年に、斎藤道三が稲葉山(金華山)山頂に居城を築くため、現在地に移された。厳かな雰囲気が漂う境内には、壮大な楼門、拝殿、本殿が造営され、摂社末社13社も祀られている。初詣には例年、市内一となる参拝客が訪れる他、桜の名所としても知られ、春は大勢の人で賑わう。社殿の入口には善光寺も建っているので合わせて参詣していこう。

社伝によれば、起源は135年といわれる由緒ある古社。伊奈波神社の祭神の妃淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)が祀られ、古来、財宝・金運招福、商売繁盛、産業繁栄の神として、信仰されている。本殿は昭和63年造営されたもの。境内そばに小円墳が1基あり、付近一帯から多数の須恵器の破片が出土、古墳時代に栄えていたと考えられている。

1
Powered by Movable Type 4.261

このカテゴリについて

このページには、神社カテゴリのガイド記事が10件ずつ表示されています。

岐阜県のイベント情報とガイド記事は岐阜県のインデックスページで見られます。

すべてのガイド記事はガイド記事一覧ページで見られます。