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大野庄用水は、天正年間(1573年から1591年)に完成した金沢でもっとも古い用水。延長は約10.2kmで、灌漑、防火、融雪、物資運搬、防御などのために設置され、金沢城築城のための材料や物資などの運搬にも、使用されたと伝えられている。金沢城の西に位置する長町武家屋敷跡付近なら土塀沿いに大野庄用水が流れ、城下町の風情が存分に味わえる。

明治27年に発表された泉鏡花の『義血侠血』は、のちに『瀧の白糸』の名目で上演され、新派の代表的狂言のひとつとなり、その後映画などでも上映されている。泉鏡花は、明治6年に金沢市下新町(現在の尾張町)に生まれ、金沢を舞台とした作品を数多く残している。『義血侠血』もそのひとつ。鏡花が好んで散策をした浅野川の畔は「鏡花の道」として親しまれ、主人公の瀧の白糸の像や碑が立てられている。瀧の白糸が水芸太夫であったことから、像の扇子から水が出る仕組み。

能登半島の最先端、禄剛崎(ろっこうさき)にある「日本列島まんなかの碑」。「真ん中」や「へそ」を主張する市町村は陸軍参謀本部陸地測量部が大正12年に認定した西脇市の「日本のへそ」、岐阜県武儀町の人口重心(平成12年の国勢調査に基づく)のほか、長野県辰野町、群馬県渋川市などがある。禄剛崎は、国土地理院が認定した「日本の重心」。正しい位置は沖の日本海上になるが、もっとも近い陸地が禄剛崎というわけで碑が立てられている。

ヘブライ民族をカナンに導く途中、紅海を分ける奇跡を起こしたことで有名なモーゼは、シナイ山から天浮船に乗り、能登の宝達山に辿り着く。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ツ子塚に埋葬されたという奇想天外なストーリーが残されているのがモーゼパーク。三ツ子塚は古墳というのが定説だが、町では一帯をモーゼパーク(伝説の森)として整備している。

片山津温泉のはずれ、国立石川病院の隣にある池。一帯は1183(寿永2)年、倶利伽羅(くりから)峠の戦いで敗走した平家軍と木曽義仲の軍が戦った源平の篠原古戦場。かつて幼少の木曽義仲をかくまって窮地を救った斉藤実盛は、老武者と侮られることを恥と考え白髪を真っ黒に染めて出陣。奮戦むなしく義仲軍に討ち取られるが、この池で首を洗ったところ、白髪頭の実盛であることが判明。義仲は涙を流して実盛を葬ったという。

加賀市の篠原古戦場にある小さな塚。地元では木曽義仲軍に敗れた斉藤実盛の亡骸を葬った場所といわれている。塚には高さ10m、幹回り3.3m。東西21m、南北約23mに枝を伸ばす老松が茂っている。1414(応永21)年、遊行上人がこの地を訪れた時、実盛の亡霊が現れ救いを求めた。上人が回向すると、たちまち成仏したという。これが謡曲『実盛』で広く知れ渡る伝説。伝説の塚だが、実際には古墳ではないかと推定されている。

能『安宅』、歌舞伎『勧進帳』で全国に知られる安宅の関。1187(文治3)年3月、源義経一行が、兄・頼朝に追われ、奥州・平泉の藤原氏を頼って北陸道を落ち延びる途中、安宅の関にさしかかった時、関守・冨樫左右衛門泰家に見咎められたが、弁慶の機智と勇気により危うく難を免れたという有名な逸話が残された地だ。関址の石標は安宅住吉神社の裏手、日本海に面した小高い砂丘にあり、松林に囲まれている。敷地内には名場面の銅像や、『勧進帳』を映像で解説する「勧進帳ものがたり館」、日本海を一望にするレストハウス「勧進帳の里・安宅ビューテラス」、希望者には巫女が勧進帳の説明を無料行ない、全国で唯一の「難関突破」の神様を祀る、安宅住吉神社がある。

真脇遺跡は縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)までの、実に4000年間も長期定住生活が続いた貴重な遺跡。低湿地帯であるために、普通では残りにくい動物性・植物性の遺物が大量に残存、縄文文化の見直しを迫る貴重な遺跡として「縄文文化の宝庫」と呼ばれるようになった。出土品のうち1593点が町指定の、1412点が石川県指定の、さらに219点の遺物が国指定の重要文化財となっている。

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