東北三大城跡のひとつ盛岡城の城跡を整備した公園。盛岡城は不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれ、南部藩20万石の居城だった。藩政時代の盛岡城は、中津川や北上川を外堀とするほど大規模なものだったが、今では花崗岩を積み上げた石垣に往時を偲ぶのみ。苔むした石垣が美しい岩手公園には若き日の宮澤賢治や石川啄木も好んで訪れ、「不来方のお城の草に寝ころびて空にすわれし十五の心」の碑も残されている。岩手公園にはソメイヨシノを主体に200本の桜が植えられ、4月中旬〜5月上旬に『盛岡さくらまつり』を開催。開園は明治39年9月15日で、平成18年には開園100周年を迎えた。
東京駅の設計で知られる辰野金吾と岩手出身の葛西萬司が設計を担当した赤レンガの建物で、現在でも実際に銀行として使用されている。盛岡中心部のシンボル的な存在で、ルネッサンス様式を基調にした赤レンガタイル張りの中に白い花崗岩の帯があるお洒落な雰囲気はいかにも辰野式。国の重要文化財に指定されている。建物が建つ十字路は「札の辻(ふだのつじ)」と呼ばれ、藩政時代にお触れの高札や藩の布告を掲示する御札所があった場所だ。
中学時代からの友人である堀合節子と19歳で結婚した啄木が、明治38年6月から7月までの3週間を暮らした家。父母、妹との同居で人生は毎日が貧困との闘いだった。ふたりが質素に暮らした四畳半の部屋も現存している。この部屋での生活は随筆『我が四畳半へ』に記されている。「僅か三週の間なりしと は云へ、我が半生に於ける最大の安慰と幸福とを与へたりしかの陋苦しき四畳半」(『我が四畳半へ』)。そんなふたりの新婚生活を偲ぶ節子が愛用した琴なども展示されている。
明治43年築の旧第九十銀行を再生し、石川啄木と宮澤賢治が青春を育んだ盛岡の街とふたりの青春時代を紹介する博物館。ふたりはともに盛岡中学の出身。常設展示室では、啄木と賢治の青春と文学をパネルや写真などで紹介。かつての銀行の頭取室は、映像で啄木と賢治を紹介する部屋、店舗だった部分はミュージアムショップとしてオリジナルグッズを販売するなど、重厚な銀行建築を巧みに生かしている。建物は国の重要文化財。
つなぎ温泉と御所湖を隔てた対岸にある伝統工芸を紹介する施設。「手づくり工房ゾーン」には南部鉄器、郷土玩具、わら細工、竹細工などの工房が集まり、職人の手仕事が見学できる。南部こけしの絵付け(1000円から)や郷土玩具づくり(1300円)などの体験が可能で、予約で南部鉄器の型作りや器づくりもできる。併設の「南部曲屋ゾーン」には120年前の農家を再現。「盛岡地域地場産業振興センターゾーン」では展示即売も実施。
かつてはヒエ、粟、そばを挽いた粉を使った保存食が、南部せんべい。明治維新後、小麦が手に入るようになり、小麦粉が主原料になったという。以前は岩手ではどこの家庭にも型があり、自家製の手前せんべいが作られていたほど、ポピュラーな食べ物であった。今でも原料には、岩手産の小麦を挽いた地粉を用い、昔ながらの粗塩風味の塩と、国産を中心とした最高級のごまを使って焼き上げている。盛岡駅ビル店でも販売。
城下町の面影を残す盛岡市紺屋町にある蔵元。初代が御宿を開業、その後安永年間(1772〜1781年)に6代目が酒造業を始めたという老舗だ。「菊の司」と「七福神」の2大ブランドを醸造、美山錦やササニシキを磨き上げ、仕込み水には清冽な軟水を使用。南部杜氏の里として、江戸時代から伝わる手法で純米酒を醸す。なかでも大吟醸てづくり七福神720ミリリットル1838円は、とくに吟醸酒香が高く喉越し爽やか。盛岡駅キヨスクなどで入手可能。
あさ開(あさびらき)は、創業1871(明治4)年の蔵元で岩手を代表する酒造メーカーのひとつ。昭和63年に完成した「昭和旭蔵」は、蔵のイメージを生かしながらもハイテク、手造りの両ラインを設備する近代的な仕込み・貯蔵蔵。精米から瓶詰めに至るまでの醸造工程の見学ができる。あさ開の酒は、敷地内から湧出の地下水を使用。直販所である「地酒物産館」やレストラン、地ビールの工場を併設。見学も可能。
三陸の海の幸や岩手の山の幸をふんだんに盛り込んだ海鮮料理や天ぷらが味わえる。春は山菜、海草、初夏は夏うに、ほや、まんぼう、岩がき、秋ならかき、しゃけ、きのこ、戻りがつお、冬はたら生白子なども。全国各地の地酒を蔵元から取り寄せている岩手を代表する蔵元「あさ開(あさびらき)」をはじめ岩手の地酒も豊富に揃う。
ステラ・モンテは、蔵元あさ開(あさびらき)直営のビアレストラン。併設のブルワリーで醸造された地ビールが楽しめる。ベルギータイプの白生ビール「ホワイトステラ」、「ステラピルス」、2〜3ヶ月ごとに替わる季節限定ビールの3種が、イタリア、タイ、ベトナム、中国などビールにピッタリの多国籍料理(約13ヶ国)とともに味わえる。






