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宮沢賢治記念館の入口にある広場。その名は賢治の同名の童話からとられている。傾斜地に作庭された「南斜花壇」と日時計が配された「日時計花壇」があり、ともに賢治の設計。 「南斜花壇」は唐草模様(アラベスク)を意識したもので歩道が蔓(ツル)を、円形の花壇が果実を表している。童話をモチーフにしたモザイク画も必見。

宮澤賢治は大正15年に花巻農学校を退職し、桜町に羅須地人協会を開設した。木造の2階屋に自炊し、ここに周辺の青年を集め化学、土壌、肥料、農民芸術論を講義し、農業指導を行なった。現在の建物は復元されたもので、花巻農業高校の敷地内に建っている。そのため見学は、授業の妨げにならないように配慮を。入口前の黒板には、「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」というチョークの字が記されている。館内の見学は学校の事務室に申し込みを。

『遠野物語』にも登場するコンセイ様。五穀豊穣と子授けの神様として地元の人の篤い信仰を集めている。山崎地区にある御神体は高さ1.5mという巨大さ。現在のコンセイ様は、昭和47年に山中で発見された岩を使っている。今後、さらに立派なものが発見されれば、代わってここに鎮座することになる。つまり大きいほど徳も大きいとされているのだ。毎年5月5日には金勢祭も開催。

旧釜石街道沿いの山中にある不思議な巨石が続石。巨大な岩がまるで鳥居のように積み上げられている。台石は高さが2m、上に乗った石は幅3m、長さ9mという巨岩。台石の間を人がくぐることもできる。あまりにも巨大な石造物のため、力自慢の弁慶が積み上げたという伝説や、原始巨石文明の跡であるという説、さらには古代人の墓という説まであるが、真相はいまだに藪のなか。笠になった岩には弁慶の足跡もあるとか。

高館は、兄・源頼朝に追われ奥州へと逃げた義経が居館としていた場所で、1189(文治5)年、藤原泰衡の急襲を受け、妻子とともに自害した地でもある。かつて北上川を望む丘陵地にあったが、流れを変えた北上川に削られ、高館の跡はなくなっている。現在は、1683(天和3)年に仙台4代藩主伊達綱村が建立した義経堂(ぎけいどう)が建てられ、甲冑姿の木造が安置されている。芭蕉も訪れたことで知られ、句碑も建てられている。

陸中海岸の黒崎は幕末の戊辰(ぼしん)戦争時に砲台が置かれた場所。南部藩の大砲、二貫目銅筒を復元して配置しているのが砲台跡。断崖の上の木の間から沖行く船を見張っている。当時、辺境の地だったこの場所が歴史の激動を避けて通れなかった事実を物語っている。

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