報恩寺は、盛岡市街の北の寺町(北山・名須川寺院群)に位置し、藩政時代には、盛岡五山のひとつに数えられていたという歴史ある古刹。石川啄木の詩集『あこがれ』のなかの「落瓦の賦」は報徳寺をうたったもの。宮澤賢治も盛岡高等農林学校時代に寺に参禅している。羅漢堂には、享保年間に京で9人の仏師が制作した500体の羅漢が安置されている。499体が現存し、制作者や製造年代が特定されている貴重な羅漢像だ。
苔むした自然石に羅漢像が線彫りされ、380体も並んでいるのが遠野の五百羅漢。1782(天明9)年に大慈寺の義山和尚が天明の大飢饉で餓死した数千人もの霊を供養するために刻んだもの。苔むした花崗岩に刻まれた羅漢は、今もひっそりと供養を続けている。
850(嘉祥3)年に慈覚大師が中尊寺とともに開山した古刹。本尊は薬師如来を祀っている。奥州藤原氏2代の基衡により再建され、3代秀衡の時代には堂塔40、僧坊500を越える大寺院となり隆盛を極めた。度重なる火災により建物は焼失、現在は18坊を残すのみとなっている。境内の浄土式庭園は、3000坪の広さで大泉ヶ池を中心に平安時代の作庭様式を残す貴重なもの。現在世界遺産の登録に向けて申請が行なわれている。
中尊寺は850(嘉祥3)年に慈覚大師開山の名刹。1105(長治2)年、奥州藤原氏初代清衡が21年の歳月を費やし堂塔40、僧坊300など建立し大寺院として栄華を極めた。藤原氏の滅亡に伴い、建物の多くを焼失したが、宝形造りの阿弥陀堂・金色堂は往時のままで、日本の国宝第1号にもなっている。境内の讃衡堂には国宝や重要文化財300点余りが収蔵されている。芭蕉も訪れ句を詠んだ。現在世界遺産の登録に向けて申請が行なわれている。
創建は約900年前と伝えられる真宗大谷派の寺院。東北随一といわれる山門は、1789(寛政10)年の建立で、当時ご禁制だったケヤキ材を使い、伊達藩から建築を禁じられ未完となっている。江戸時代には高野長英が密かに蘭学を教えていたといわれ、その時使用されていた部屋が保存されている。境内には推定樹齢420年のイチョウの木もある。
昭和45年4月に釜石市内の曹洞宗の寺、明峰山石応禅寺によって鎌崎半島に建立された高さ48.5mの観音像。手に魚藍を持つ姿は、魚を売る美女に化身して信仰を広めたという伝説に由来する。13階に分かれた観音様の胎内には拝殿の他、各階に七福神などが配され、「七福神胎内めぐり」も楽しめる仕組み。観音様が手にしている魚の部分が展望台。海抜120mの展望台からは大海原を一望にする。

