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「歴史の道百選」に選定された加治木町に残る古道でNHKの大河ドラマ『翔ぶが如く』のロケ地ともなった。1635(寛永12)年に完成し、1741(元文6)年に石畳となった。薩摩街道大口筋の一部ともなった坂道の全長は1500mほどあるが、往時の姿が残されているのは464m。江戸時代には薩摩藩の参勤交代に使われたことはもちろん、明治10年の西南戦争の際は、西郷隆盛率いる薩軍はこの坂道を通って熊本へ向かった。坂の出口にあたる加治木地区の人々は三味線や太鼓を鳴らして行軍を見送ったという。

姶良町脇元と鹿児島市吉田町牟礼岡を結ぶ石畳の坂道で、藩政時代の薩摩街道大口筋の難所といわれた場所。薩摩国(吉田町側)と大隈国(姶良町側)の国境だった場所でもあり、中世にはこの坂に島津貴久や義弘が陣を構えたことも。明治時代に錦江湾沿いの道(現在の国道10号)ができるまではこの道が鹿児島と熊本を結んだ幹線道だった。往時は4kmという長く険しい道のりだったが、現在は七曲りといわれた石畳の急坂を中心に2.7kmが保存され、「歴史国道」に指定されている。途中には3ヶ所の休憩所が設けられている。

一湊川が注ぎ込む入江になった一湊漁港は、天然の良港で、かつてサバの一本釣りの基地としてにぎわいをみせた場所。今では静かな漁村といった風情だが、河口付近には、ゴマサバが原料となる、名物のさば節の工場が何軒か軒を連ねている。身が引き締まったゴマサバは、マサバに比べ脂分が少なく、そばツユの出汁として使われる高級食材。加工場ではさば節をはじめ、屋久島焼酎によく合う定番のつまみとして人気があるさばの生節、その他屋久島名物のひとつである、トビウオのすり身や干物などの直売も行なっており、みやげ物屋より割安で購入できる。また周辺は「かおり風景百選」に選ばれており、集落から海に向かって河口付近を歩けば、さば節の香りが鼻をくすぐる穏やかな散歩道となる。

島津藩政時代に113ヶ所築いた外城の一つ。薩摩藩が領内各地に設けた外城(とじょう)のひとつ。外城のうちでももっとも古く規模も最大なのがこの出水。外城は、行政庁の仮屋と家臣の居住区である麓(府元)からなるが、出水島津藩士の暮らしを偲ばせる武家屋敷が建ち並ぶ麓地域43.8haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。麓武家屋敷群は、今でも道路が碁盤の目のように整然と区切られており、玉石で築いた石垣を巡らせた屋敷区画も往時のまま。生垣、風格ある武家門などが江戸時代の武家集落の面影を残している。「竹添邸」と「武宮邸」は一般公開、「税所邸」は屋外が一般公開されている。公開施設以外の建物・敷地内への立ち入りは厳禁だ。藩政時代の行政の中心である仮屋があったのは現在の出水小学校の場所。

島津藩政時代に113ヶ所築いた外城の一つ。薩摩藩が領内各地に設けた外城(とじょう)は、行政庁の仮屋と家臣の居住区である麓からなる。麓の町割や家並みが往時のままに残された知覧は、見事な石垣と生垣が連なる独特の景観を形成し、18.6haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。どの家も石垣や端正に手入れされた生垣のある庭園を持ち、母ヶ岳を借景に自然をよく取り入れ、町並み全体が箱庭のような趣がある。国の名勝に指定された7つの庭園(知覧麓庭園)のうち、森氏庭園は築山泉水式庭園で、他の6庭園は枯山水式庭園。庭園の共通入園券が発売されている。

薩摩川内市の入来地区は、鎌倉時代中期、相模国御家人・渋谷定心が惣地頭となり、その末裔が入来院と称し、明治維新に至るまでほぼ一貫して領主として存続した。近世に薩摩藩が領内各地に設けた外城(とじょう)のひとつで、行政庁の仮屋と家臣の居住区(武家屋敷地)である麓からなるが、入来では1501年(文亀元)年に清色城の裾野に屋敷を配し、すでに麓と称していた。入来町入来麓伝統的建造物群保存地区は、麓のほぼ全域をカバーしたエリアで、東西750m、南北550m、面積19.2haに及んでいる。現在でもその町割、屋敷割が往時のままに残されており、江戸時代末期の武家屋敷の主屋、明治期から昭和初期までに建てられた主屋、玉石積の石垣、庭園などが保存されている。

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