明治から大正末期にかけて活躍した小説家、徳富蘆花(ろか)。18歳でキリスト教に入信し、封建社会の問題や自然観を独自の視点で著した人物だ。蘆花は、明治30年から4年ほど当地に滞在。明治社会の封建的な家族制度を描いた彼の代表作『不如帰(ほととぎす)』は、記念公園のふもとにあった田越川沿いの旅館「柳家」で執筆された。園内に建つ郷土資料館は、徳川家16代の家達が大正6年にこれを購入し、昭和19年まで別邸として使用したもの。数寄屋造りの館内には、蘆花の愛用品や書、逗子の民俗資料を展示している。
蘆花記念公園・郷土資料館
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紹介記事に誤りがあります。
1)"『不如帰(ほととぎす)』は、ここで執筆された。”の「ここ」は、流れから読む人は、郷土資料館のことと理解すると思います。紹介文全体からは、家達候のことが書かれているので、良く考えれば郷土資料館のことではないと理解されますが、不親切です。
「ここ」の代わりに「逗子」にするか、「このふもとにあった田越川沿いの旅館、柳家で」とかえるべきでは?
2)"徳川家16代の家達が大正時代に建てた別荘"は、完全な誤りです。
大正元年に創建されたときの創建者は、横浜の資産家と伝えられ、特定は出来ていません。家達は大正6年にこれを購入して別邸として使用し、昭和19年まで所有していました。以上、訂正頂ければ幸い。
ご指摘ありがとうございます。歴史的な事実関係には取材時になるべく裏を取るように注意しているのですが、別荘として使用というのを単に建てたと解釈してしまったために起こった間違いのようです。以後、取材時の確認をさらに厳密にするように心がけます。