1104(長治元)年の創建と伝わる古社。菅原道真を祭神し、九州の太宰府、京都の北野天満宮とならぶ「日本三天神」のひとつ。1180(治承4)年、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を開いた源頼朝が、荏柄天神を鬼門の守護神として社殿を造営。神門を入ると境内には樹齢900年、根回り6.5m大イチョウがある。大きさは鎌倉一といわれ、黄金色に変わる晩秋は見事。学問の神様として受験シーズンには合格祈願の人々で賑わう。
明治2年、明治天皇によって創建。大塔宮(おおとうのみや)とも呼ばれる。後醍醐天皇の長子護良親王が、建武の新政で征夷大将軍に任ぜられた足利尊氏と対立、鎌倉に流され、この地の土牢に幽閉された。この時の土牢が境内に残こり、見学できる。毎年秋には悲運の親王への鎮魂の舞「鎌倉薪能」が行なわれることで有名。また、「モミジの天井」と呼ばれる、見事な枝ぶりのカエデの大木があり、紅葉したカエデは、覆いかぶさるようでその呼び名も納得できる。見ごろは例年11月下旬から12月下旬。
説話で知られる金太郎を祭神とする神社。平安時代の武士で「源頼光の四天王」のひとりといわれた坂田公時(金時)の幼名が金太郎。生地は南足柄市地蔵堂とも小山町竹之下ともいわれ諸説ある。江戸時代ごろ箱根外輪山の秀峰、猪ヶ鼻岳(現在の金時山)に金時伝説が生まれ、山中に金時宿り石、金時手鞠石などが名付けられた。金時神社は金時山の仙石原側の登山口に位置する神社で、金時手鞠石を経て15分ほど歩いた金時宿り石に奥の院が置かれている。御利益は子育て。金太郎にあやかって健康な子供をと願う参拝者が多い。
奈良時代末期の757(天平宝字1)年に全国各地をまわっていた僧万巻(まんがん)上人が、箱根山中にあった駒ヶ岳の神仙宮、般若寺、神山の神宮の3寺社を統一し祀ったという、箱根権現が前身。元箱根からの参道途中には宝物殿があり、重要文化財の『箱根権現縁起絵巻』や、関東最古の肖像彫刻、万巻上人座像などが置かれ、見学できる。社殿裏手にはヒメシャラの純林があり、6月下旬〜7月上旬には白い花をつける。純林内を横切る北参道は散策にぴったり。平成19年には「箱根神社御鎮座1250年式年大祭」を実施。
雨乞い信仰も残る大山の中腹(標高700m)に建つのが阿夫利(あふり)神社下社。阿夫利の名は雨降りに由来するともいわれている。江戸時代には大山詣での参詣客で大いににぎわいをみせた。江の島詣でと兼ねて、庶民は旅行感覚で大山阿夫利神社に参拝した。神社では引目(ひきめ)祭、筒粥(つつがゆ)祭、雨乞い、節分祭など、多くの神事が今も伝承されている。本社(石尊大権現)は大山山頂にあり、下社から天満宮の半開きの門をくぐり徒歩1時間30分。7月27日が例祭日。
社伝では、552(欽明天皇13)年に、岩屋に神様を祀ったのが始まりとする。古来から「弁天様の島」として親しまれ、江の島詣での客でにぎわった江の島。この江の島のシンボル的存在なのが、江島神社。もとは岩屋に海の守り神、三女神を祀ったのが始まり。のちに源頼朝が弁財天を祀らせ、繁栄した。鎌倉初期の作という八臂(はっぴ)弁財天を祀る奉安殿が建つ辺津宮(へんつのみや)、中津宮、奥津宮と3つの宮があり、エスカー(有料のエスカレーター)と石段で結ばれている。最奥部にはかつての本宮にあたる、江の島岩屋も残る。4月10日の初巳例大祭が神社最大のお祭り。
宇賀福神が、源頼朝の夢枕に立ち、佐助ヶ谷に湧く霊水で神を祀れば、天下太平に治まるというお告げを受けて建立された神社。もとは国の守護のために造営されたわけだが、奥の院の洞窟に湧く霊水でお金を洗えば、100倍にも1000倍にもなるとされ、商売繁盛に御利益がある神社として、人気が高い。この霊水は、鎌倉五名水のひとつ。洗ったお金はなるべく早く使う方が御利益が大きいとのことだ。社務所では弁財福財布などを授与。
社伝によれば、伊豆に配流となった源頼朝の夢枕に、稲荷神が翁に変身して立ち、平家打倒の挙兵をすすめた。後に鎌倉幕府を開いた頼朝は、「我は鎌倉鎮座の稲荷なり」と言った翁が佐助ガ谷(さすけがやつ)の稲荷と知り、この地に社殿を築いたという。幼少の頃「佐(すけ)殿」と呼ばれた頼朝を助けた稲荷というのがその名の由来ともいわれるが定かでない。頼朝の出世にあやかり、「出世稲荷」といわれるが、頼朝・政子の恋から恋愛成就の御利益もある。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した由緒ある古社。もとは1063(康平6)年、源頼義が、材木座に京都の石清水八幡宮を勧進したのが始まり。1180(治承4)年に鎌倉に居を構えた頼朝が現在地に若宮を建て、これを町造りの中心とした。大火で焼失後、現在地に移転。若宮、本宮は国の重要文化財で祈祷もここで行なわれる。また本宮西側に建つ丸山稲荷社は、本宮造営以前から祀られていた地主社。室町時代の本殿が現存し国の重文。舞殿は静御前が義経を慕いながら舞ったところ。

