1253(建長5)年に執権・北条時頼が建立した日本で最初の禅寺で、鎌倉五山第1位の巨刹が建長寺。境内最奥に標高145mの勝上嶽があり、中腹に守護神として、静岡の方広寺から勧請した半僧坊大権現が祀られている。半僧坊へと続く境内参道にはカエデやイチョウがあり、鮮やかに色づく晩秋は大伽藍とのコントラストが素晴らしい。半僧坊からは紅葉した山々と鎌倉の町並みを一望することができる。
鎌倉宮から瑞泉寺へ向かう途中、通玄橋の手前で左に折れ、二階堂の谷奥が美しいススキ原。1192(建久3)年、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、美しい庭園とともに築いた永福寺(ようふくじ)の跡地。平泉の中尊寺、毛越寺(もうつじ)を模した寺は室町時代には廃寺となり、今では面影を偲ぶものはなく、石碑が立つのみ。国の史跡として発掘調査が行なわれているが、ただただ美しいススキ原となっている。ちなみに二階堂という地名はこの永福寺の堂の名前に由来する。
明神ヶ岳の北東腹に、30余りの伽藍をもつ大雄山最乗寺。1394(応永1)年、了庵慧明(えみょう)禅師の開山で、寺の創建に怪力をふるって貢献した弟子の道了が、寺の完成と同時に天狗になって山中に身を隠したという伝説から、道了尊とも呼ばれる。27万平方メートルの広大な寺域には、樹齢400年という大杉が茂り、幽玄なムード。天狗道了にちなんで鉄製の大下駄が奉納され、下をくぐれば安産の願いが叶うともいわれる。道了尊大祭は1月・5月・9月の27・28日。5名以上なら予約で精進料理も可能。1500円〜。
元箱根の芦ノ湖湖岸にある賽の河原から国道1号を山側に渡った岩屋に安置されているのが身代わり地蔵。鎌倉時代に頼朝の家来、梶原景季(かげすえ)が父の景時と見誤られて背後から斬りつけられた時、その身代わりになって景季を救った伝説が残されている。よく見ると右肩から左脇腹にかけて刀傷が残されている。江戸時代に地蔵信仰が盛んだったときには元箱根には5つの地蔵堂があり、唯一現存するのがこの身代わり地蔵。ただし地蔵というものの阿弥陀如来像。
小涌谷駅近くの共同墓地に閻魔大王の石像があることは地元箱根でもほとんど知られていない。かつての小涌谷は現在の大涌谷のように激しい噴煙を上げ温泉が湧き出る谷で、大涌谷が大地獄と呼ばれるのに対し小地獄と呼ばれていた。熱湯を噴き上げる小地獄の脇には地蔵菩薩と閻魔大王が祀られたが、火山活動が収まった現在は「地獄の閻魔大王」が40体もの石仏群に囲まれ不思議な雰囲気を醸し出している。小地獄が小涌谷になったのは明治6年の天皇の行幸時に、地獄では畏れ多いという配慮から改名されたもの。
箱根湯本の早雲通りの山際に建つ寺で、京都大徳寺の末寺。鎌倉時代は地蔵信仰の霊地だった場所で、地蔵を安置していた湯本地蔵堂が寺の前身。今でも毎年9月21日には地蔵尊縁日が開かれている。富士の裾野の仇討ちで知られる曾我兄弟を弔った地蔵立像が安置された曽我堂が、寺の裏手にあり、境内には曽我五郎が力試しに使ったという槍突石もある。3月末〜4月初旬の枝垂れ桜と、9月中旬の萩は見事だ。
国道1号は、駒ヶ岳と上二子山の間を抜けるあたりが最高地点。標高874mの最高地点の標識を中心に、鎌倉、室町時代の地蔵信仰を伝える石仏、石塔が点在している。これら石仏、石塔と精進池を結ぶ散策路、ガイダンス棟を設けた公園も整備。巨大な磨崖仏の六道地蔵、二十五菩薩、曽我兄弟の墓、八百比丘尼の墓と呼ばれる五輪塔などを一巡して見学することができる。園内を貫く国道1号は、2本のトンネルでくぐることができる。
塔ノ峰の山腹に建ち、関東では珍しい山寺の雰囲気とアジサイの名所として知られている。塔ノ沢から続く参道には、数千株というアジサイが咲き誇り、6月〜7月の花の季節に訪ねれば、険しい登りも苦にならないほど美しい。本堂では、幕末の歴史ヒロイン・皇女和宮の位牌、御念持仏などが拝観可能だ。本堂からさらに山道を登ったところには、奇僧で名高い弾誓(だんせい)上人が修行に籠ったという、洞窟(一の岩屋)がある。境内には五右衛門風呂も併設。毎日11:00から水野賢世住職による昼説法が行なわれ、自由に参加することができる。
小田原の戦国大名北条早雲の遺命により、2代目氏綱が建立した古刹。湯本は開山寺に門前町として寄進された町で、氏綱をはじめ後北条氏の武将たちが、参詣のたびに湯本の湯につかったという。早雲寺の興隆とともに栄えた湯本温泉の歴史は、寺の境内に残る史跡や石碑に見ることができる。早雲の三男・幻庵作といわれる枯山水庭園、後北条氏五代の墓、連歌師飯尾宗祇(そうぎ)の句碑などが見学のポイント。
大山ケーブルの中間駅「不動前」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、関東三大不動のひとつで、真言宗大覚寺派の大本山。755(天平勝宝7)年開山の古寺で、真言密教の修験道場として栄えてきた。江戸時代、「寺院法度」の発布により修行僧が下山し布教活動を行ったことから、大山詣でが広まった。春日野局は、家光が将軍になることを大山不動に祈願、念願が叶ったことでその後家光の保護を受けている。明治初年の「神仏分離令」により、下社の場所にあった大山寺は現在の位置に移転。霊力が強いとされる本尊の不動明王像と制吁迦(せいたか)童子・矜羯羅(こんから)童子は国の重要文化財。毎月8の付く日に御開帳が行なわれる。









