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587年(用明天皇即位2年)、聖徳太子が創建と伝わる古刹で、西国三十三カ所第18番札所。この地は、太子沐浴の池の跡といわれ、池のほとりに小野妹子が開いた坊があったことから池坊と呼ばれている。頂法寺の本尊は太子の護持仏と伝わるわずか1寸8分(約5.5cm)の如意輪観音菩薩。平安時代から霊験あらたかなる逸話が残されている。寺伝では、親鸞上人も毎夜比叡山から本堂に百日参籠を行ない。95日目に、本尊のお告げがあり浄土真宗を開いたという。寺が通称六角堂と呼ばれるのは、本堂が六角形をしていることから。これは聖徳太子の創建時から変わらないという。度重なる火事に遭い、現在の建物は明治5年に再建されたもの。また華道、池坊の発祥の地(生け花発祥の地)でもあり、代々住職は池坊家が務め、1月5日には「初生け式」が行なわれる。授与品に親鸞聖人同行御守500円、鳩みくじ500円など。

徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成。1867(慶応3)年に15代将軍の慶喜が大政奉還を行なうまで京都の政治・軍事の中心として機能した。豊臣秀頼、家康と会見、大坂冬の陣・夏の陣の軍議・出陣などの舞台となった場所だ。国宝の二の丸御殿は、6棟からなる大書院造りで襖絵は狩野探幽らによる名作。大政奉還の発表が行なわれたのは二の丸御殿大広間だ。二の丸御殿の南西には、二の丸庭園がある。池の中央に蓬莱島その左右に鶴亀の島を配した池泉回遊式庭園で、小堀遠州作と伝えられる。

京都の歴史と文化をわかりやすく紹介する総合的なミュージアム。地上7階、地下1階建ての本館では、歴史展示室、美術工芸展示室、映像ホール、さらには企画展を通じて平安時代から現代までの京都の歴史や美術、考古民俗などの資料を展示紹介している。博物館でとくにユニークなのが本館1階にある「ろうじ店舗」。ここでは幕末の京の町並みが再現され、みやげ物などを販売するショップや飲食店が入居している。本館1階エントランス南にあるミュージアムショップでは、国宝「鳥獣戯画」や風神雷神図屏風などに関連したオリジナルグッズを販売。

947(天暦元)年、多治比文子らが北野の右近馬場に皇城鎮護の神として菅原道真の霊を祀ったのが始まり。道真は九州の大宰府へ左還され903(延喜3)年2月25日にこの世を去った。その後、京では疫病や災害が相次ぎ、厄災にみまわれ人々は道真の祟りと恐れた。987(永延元)年、一条天皇が「北野天満宮天神」の神号を与えた。一条天皇の行幸を初め代々の朝廷、幕府の崇敬もあつく、江戸時代には寺子屋の普及とともに全国に分社が誕生した。「和魂漢才」の精神を以って学問を修めた道真にあやかる文教の神として信仰を集め、合格祈願の若者で賑う。1607(慶長12)年に豊臣秀頼が再建した本殿・拝殿(国宝)、三光門(国の重文)、東門(国の重文)、絵馬堂、神楽殿、校倉は現存。八棟造りの桧皮葺きの屋根が典雅な桃山建築だ。境内の表参道の松林一帯は豊臣秀吉が「北野大茶湯」(北野大茶会)を催したところ。2月から3月にかけては境内に植えられた2000本(門内・梅苑各1000本)の梅が見頃となる。

1436(永享8)年、本阿弥清信(光悦の曽祖父)が禅宗を批判して『立正治国論』を著わした日親上人に獄中で帰依し、出獄後日親上人のために一宇を建立したことが起こりといわれる日蓮宗の寺で、本阿弥家の菩提寺でもある。もとは四条高倉にあり一条戻橋近くに移ったが、秀吉による聚楽第造営を機に1587(天正15)年、現在地に移った。このとき、移転工事を監督したのが本阿弥光悦で「三巴(みつどもえ)の庭」と呼ばれる枯山水の庭園は、光悦作と伝わる国の名勝。寺宝には本阿弥陀光悦の『紫紙金字法華経』(国の重文)や桃山時代の画家・長谷川等伯(はせがわとうはく)の『釈迦大涅槃図』(国の重文)などがある。

京都の中心、京都御所・大宮御所・仙洞御所を囲む63の公園。1392(明徳3)年の南北朝統一によって皇居となって以降、明治に東京に移るまでここが天皇とそれを取り巻く人々の生活の場だった。周囲を築地塀に囲まれた東西700m、南北1300mの広大な敷地には、江戸時代には御所のほかに公家や宮家の邸宅が200ほど建ち並んでいた。公家の邸宅跡「拾翠亭」や平清盛の母と伝わる祇園女御を祀る「厳島神社」、九条池などの史跡が散在する。京都御所には南に正門である堺町御門、東に寺町御門、清和院御門、石薬師御門、北に今出川御門、西に乾御門、中立売御門、蛤(はまぐり)御門、下立売御門という9の門がある。蛤御門は、幕末に長州藩が朝廷に直訴するとき、門を守る会津、桑名、薩摩藩兵と衝突した「蛤御門の変」が有名。今も門には銃弾の傷が残されている。

浄土真宗本願寺派の大本山。1272(文永9)年に親鸞の娘覚信尼(かくしんに)が東山大谷に創建した大谷廟堂が起源。3世覚如の時代に本願寺と称した。1591(天正19)年に豊臣秀吉が寺地を寄進し現在地に移した。1602年(慶長7)、家康の政策で本願寺は東西に分立、西本願寺と通称されるようになった。御影堂と本堂はともに国の重要文化財。滴翠園に建つ国宝の飛雲閣は、聚楽第の遺構として有名。伏見城の遺構で「虎渓(こけい)の庭」と呼ばれる大書院の庭園(特別名勝・史跡)、唐門、北能舞台など桃山文化を伝える建造物が建ち並んでいる。御影堂は平成20年まで修復工事のため参拝することができないので注意を。

渉成園は東本願寺の飛地境内地であり、周囲にカラタチ(枳殻)が植えられていたことから枳殻(きこく)邸とも呼ばれる。1641年(寛永18)に徳川家光から土地の寄進を受け、1653(承応2)年に第13代・宣如上人の願いによって石川丈山の作庭によって完成した。1858(安政5)年と1864(元治元)年の2度の火災で諸殿は焼失するも、幕末から明治初期に再建。庭園部は創建当時とほとんど変わっておらず国の名勝に指定されている。印月池(いんげっち)は渉成園の6分の1の面積を占め、中央に2つの中島が配されている。侵雪橋などの景観や、桜、フジ、カエデなどの四季折々に趣がある。大書院「ろう風亭」の前には広い芝生が敷かれ、遠く東山を借景に眺望が広がる。

真宗大谷派の本山で東本願寺として知られている。1602(慶長7)年、徳川家康より京都東六条の地を寄進され、教如(きょうにょ)上人が創建。現存の伽藍は、禁門の変で焼失した後、明治28年に再建したもの。京都三大門のひとつに数えられる御影堂門をくぐると木造建築では世界最大級の御影堂と阿弥陀堂とがある。親鸞の木像を安置する御影堂は927畳の広さ。阿弥陀堂には本尊の阿弥陀如来像が安置されている。巨大な用材を引き上げるため、全国の門徒の女性たちが黒髪を断ち切って寄進し、毛髪と麻を撚り合わせて作った毛綱が残されている。親鸞聖人の命日の11月28日に合わせ、「報恩講」が11月21日〜28日に行なわれる。

JR京都駅烏丸口の正面にそびえ立つ京都タワーは、地下3階、地上9階のビルの屋上に昭和39年に設置された地上131mの展望塔で、ろうそく形のユニークなフォルムが印象的。最上階の展望室は地上100mにあり市内はもちろん好天の日には大阪方面まで眺望する。もちろん夜景を楽しむこともできる。タワーの基部、地上47mに展望食堂や展望券売場、展望エレベーター乗り場がある。地上9階建てのビルは5階から上が「京都タワーホテル」で、地下3階には地下水を沸かし肌触りのいい「タワー浴場」もある。

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