南禅寺境内には、琵琶瀬疏水の枝線水路が通過している。水路は明治23年に建造された水路閣と呼ばれるレンガ造り、ローマ風のアーチ橋上を通っている。水路閣は全長が93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mで境内の景観に配慮して設計され、13の橋脚が作り出すアーチの連続は記念撮影に絶好。近くにあるインクラインとともに貴重な近代化遺産として国の史跡となっている。現在も水路閣には毎秒2tの水が流れている。水路閣を通る琵琶湖疏水の枝線水路は、本流から蹴上で分岐し大文字山(如意ヶ岳)の山麓に沿って南禅寺、若王子、高野、下鴨、堀川と流れる。水力利用、かんがい、防火が主な目的の用水だが、水路閣や哲学の道などあらたな景勝地も誕生した。
南禅寺の塔頭寺院のひとつで、1339(暦応2)年、光厳天皇の勅許により虎関師錬(こかんしれん)が南禅寺を開いた大明国師(無関普門)の塔所として建立。大明国師は亀山法皇から南禅寺の開山を命じられたときすでに80歳。開山の年の12月に亡くなっているので禅寺として伽藍が完成するのを見ていない。1447年(文安4)年の南禅寺大火で類焼し、応仁の乱で荒廃した。1602(慶長7)年、歌人としても名高い細川藤孝(幽斎)が再興した。幾何学的な石畳を中心にした枯山水庭園の方丈前庭(東庭)と池泉回遊式の書院南庭という趣あるふたつの庭園がある。方丈は、細川幽斎の再興時に建立された柿皮葺きの建物で襖絵(非公開)は長谷川等伯の筆で国の重要文化財。
京都市の左京区と山科区の境目あたりに位置する標高465.9mの山。ハイキングコースとしても有名で、銀閣寺の門前道から続く山道を登るのが一般的なコース。山の中腹には大文字焼の火床(ひどこ)がある。火床にある階段を登りつめると山頂だ。登山口から10分で中山城跡から湧き出る水場、さらに30分で火床。火床から山頂へは30分。
西に衣笠山、背後に左大文字山を控えた景勝の地、北山にある臨済宗相国寺派の名刹。慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の山外塔頭のひとつで、1397(応永4)年、足利義満が営んだ山荘を寺にしたもの。山荘とはいえ、その規模は御所に匹敵し、「北山殿」あるいは「北山第」と呼ばれ、足利時代の政治的な中心地だった場所。義満の死後、現在金閣と呼ばれる舎利殿を残して解体され、足利義満の法名に因んだ寺名の禅寺となった。一般には「金閣寺」と通称されるが、正しくは鏡湖池(きょうこち)のほとりに建つ宝形造りの三層の舎利殿が「金閣」。漆地で2層目と3層目に金箔を押したきらびやかな建物だが、昭和25年に学僧・林承賢の放火で焼失。昭和30年に往時のままに再建、昭和62年に金箔張り替え修復が行なわれた。金閣を要として池が広がる庭園は国の特別名勝、特別史跡に指定されている。世界遺産。
京都市と滋賀県大津市にまたがる山。主峰は大比叡ヶ岳で標高848.3m。東山三十六峰の第一峰となっている。そのすぐ西に標高838mの四明岳(しめいがたけ)がある。最澄が開山した天台宗の総本山・延暦寺の根本中堂は、大比叡ヶ岳山頂の北東にあるため、日本仏教の母山ともいわれる。また四明岳の山頂直下には花と絵画の庭園美術館「ガーデンミュージアム比叡」がある。京都市街から山頂へは、バスや車で比叡山ドライブウェイを通るコースのほか、八瀬遊園駅から叡山ケーブルと叡山ロープウェイを乗り継ぐ方法がある。登山の場合は古来からの代表的な登山口が左京区修学院から登る雲母(きらら)坂。
1615(元和元)年に本阿弥光悦が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえる集落を生みだした。光悦の死後、日慈上人を開祖として日蓮宗の寺となった。境内には太虚庵、三巴亭、了寂軒、本阿弥庵など7つの茶室がある。光悦の終焉の地でもある太虚庵を囲む竹を斜めに組んだ垣根は、「光悦寺垣」と呼ばれるもので絵画、陶芸、書道、作庭などに豊かな芸術性を発揮した文化人・光悦の足跡のひとつ。庭園からは鷹峯三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡すことができ、秋には紅葉が見事。色づきが少し早いのも特長だ。
臨済宗南禅寺派の古刹。鎌倉時代に東巌慧安禅師が一条今出川に仏殿を構え1282(弘安5)年に現在地に移転した。鎌倉時代最大の国難といえば、蒙古襲来(元寇)。大分の国東半島の寺でも必死に降伏祈願・国家安泰の祈願が行なわれたが、この寺も、「国敵を催破せしめられんことを(東巌慧安の祈願文より)」目的に創建された。重要文化財に指定される本堂は、1653(承応2)年に伏見城の御成殿を移築したもの。内部には狩野山楽の襖絵、伏見状の血染めの廊下板を用いたという「血天井」などの見どころがある。知る人ぞ知る名庭「獅子の児渡し庭園」は、比叡山を借景にした見事な枯山水庭園。小堀遠州の作といわれ、白砂敷きの平庭にツツジの刈り込みを配した美しさは格別だ。
上賀茂神社は、正式名を賀茂別雷(かもべつわけいがずち)神社という。平安遷都以前に、京都で大きな勢力を持っていた賀茂氏の祖先を祀る神社で、遷都後は下鴨神社とともに王城鎮護の役割を担った。上賀茂神社の本殿は国宝、34ある社殿は全て重要文化財で、神域の地形に応じて巧みに配置されている。もちろん世界遺産に登録。5月15日には京都三大祭の「賀茂祭」(「葵祭」)がしめやかに行なわれる。社伝によれば、6世紀、欽明天皇の時代に始まったという歴史ある祭りだ。雷(いかづち)の力であらゆる災難を取り除くという「厄除け」、鬼門の守り神ということから「方除け」に御利益大。
上賀茂神社の境内を流れるならの小川が明神川と名を変えて東に流れ出る。その明神川に沿って上賀茂神社の神官たち(社司と氏人)が暮らした屋敷である「社家」が建ち並んでいる。これが上賀茂神社の東側に築かれた室町時代からの門前集落(社家町)で2.7haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。妻飾り社家主屋とこれを囲む土塀や瓦葺きの門、さらには庭園や樹木が静寂な環境を生み出している。社家は川に架けられた橋を渡って門を開きなかに入る独特の構造で、明神川の川の水は庭に取り込まれている。社家の内でも「西村家別邸」だけは一般公開されていて、庭園や家屋を見学することができる。
京都盆地の北にある周囲1.5km、面積9haの池で一帯に広がる水生植物群落は、国の天然記念物に指定されている。池内の各所に氷河時代の生き残りと考えられる北方系の動植物が生存、ミズゴケ湿原には西日本の平坦地では珍しい浮島があるなど、都市部としては非常に貴重な自然が残されている。浮島は季節により上下に変動し、夏には浮上し、冬は冠水して水没していまうというユニークなもの。100種以上の野鳥も観察できる。平安時代からは水鳥の狩猟の場として重宝されていたという。京料理には欠かせないじゅんさいは、かつてこの池の特産品だった。













