社伝によれば古墳時代の487年頃、第23代顕宗天皇の時、日向(宮崎県)の高千穂峰の神蹟を移したのが始まりという古社。天智天皇が神田を寄進し、神域の山を日御山(ひのみやま)と名付けた。応仁の乱で社殿と古記録を焼失したが、再興され、大坂冬の陣の年である1614(慶長19)年には徳川家康が社領を寄進し、改築を行なっている。皇室との結びつきも強く、清和天皇、後奈良天皇、後陽成天皇の勅額が残されている。祭神は、内宮(ないく)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮(げく)が邇邇芸命(ににぎのみこと)。
860(貞観2)年創建の古社。木津・宇治・桂の三川の合流点を眼下にする男山の山頂に鎮座し、大分の宇佐神宮(宇佐八幡宮)、鎌倉の鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡社に数えられる。平将門・藤原純友の乱や、元寇の時には朝廷の祈願所となった。天皇・上皇の行幸や御幸は、第64代円融天皇以来、250回を数える。源氏をはじめとする全国の武士の崇拝も篤く、源義家はここで元服。現在の社殿は1634(寛永11)年に3代将軍徳川家光が造営したもので、八幡造りの本殿は国の重要文化財。周囲を180mに及ぶ回廊が囲む立派な造りだ。本殿の棟の間に架けられている「黄金の樋」は、1580(天正8)年、織田信長の寄進。社務所の西の神苑池には八幡の竹をフィラメントとして利用し炭素線電球を発明したエジソンの記念碑もある。毎年9月15日に行なわれる古式豊かな岩清水祭は京の葵祭、奈良の春日祭ととも三大勅祭に数えられている。清和天皇の863(貞観5)年に創始され、朱雀天皇の948(天暦2年)に勅使が派遣される勅祭となった。山上の上院のほかに山麓に下院(頓宮)もある。
菅原道真が大宰府に左遷されるにあたり、在原業平と詩歌管弦を楽しんだ長岡に立ち寄り、名残を惜しんだという。その縁で、道真自作の木像を祀ったのが神社の創始。道真が腰を掛けたといわれる「見返り岩」が残り、見返り天神とも呼ばれている。 本殿は昭和16年に平安神宮から移築したもの。例祭は10月9日。境内の東に広がる八条ヶ池は1638(寛永15)年に造成した灌漑用の溜池で周囲は1kmという広大なもの。南北に細長く続く池の中央を横断する中堤は天満宮の参道で、架けられた石造太鼓橋は加賀前田公の寄進。
応神天皇、その皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、兄の仁徳天皇を祀る古社。鎌倉前期に伐採された檜が使われた拝殿は、鎌倉時代の建物で国宝。平安時代の住宅様式が取り入れられている貴重な造りだ。拝殿の背後の本殿は、覆屋(おおいや)で保護されているが、内部に御祭神を祀る3社が収められている。建築年代は平安時代後期と推定され、神社建築としては日本最古。拝殿の向かって右側には桐原水(きりはらすい)と呼ばれる湧水があるが、これが現存する唯一の「宇治七名水」。
794年の平安京遷都に際し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命おおくにぬしのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后じんぐうこうごう)を合祀し、桓武天皇が創建したという古社。平安京の表玄関に当たる交通の要衝で景勝の地だったことから貴族の別荘が建てられ、平安時代の末には白河上皇が鳥羽離宮を造営して院政を行なった。平安の末から熊野三山詣でが盛んになると、旅立ちに際して道中の安全祈願をする社として白河上皇や鳥羽上皇の崇拝を受け、以後、方除け、道中安全の祈願所としても有名に。応仁の乱で荒廃したが再建された本殿は平安時代後期の様式を今に伝えている。社殿を取り囲むように配された神苑「洛水苑」は、中根金作による昭和の名庭。『源氏物語』に登場するほとんどの植物が植栽され、「源氏物語花の庭」と呼ばれている。
社伝によれば、秦伊呂巨具(はたのいろこぐ)によって711年(和銅4)創始の古社で、平成23年に鎮座1300年を迎える。商売繁盛を祈願する全国3万にものぼる稲荷社の総本宮。本殿(国の重要文化財)は1468(応仁2)年に兵火で焼失したが、明応年間(1492〜1501)に再建された。五間社流造り・檜皮葺きの建築で、稲荷造りと呼ばれる独特の建物。2月初午の日に行われる初午大祭はご鎮座の日として多くの人々が参拝する。社頭で参拝者に授与される「しるしの杉」は商売繁盛・家内安全の御符(しるし)。4月20日にもっとも近い日曜日(神幸祭)から5月3日(還幸祭)にかけて行われる「稲荷祭」は平安朝から行われる同社の伝統的な祭典で、神輿5基が巡行。
社伝によれば、平安遷都以前の656(斉明天皇2)年創建と伝えられる古社。遷都以前に渡来人である八坂造(やさかのみやつこ)一族が住んでいた土地という。「祇園さん」の通称でお馴染みで、全国の3000ある祇園社の総社。「祇園さん」と呼ばれるのは明治維新の神仏分離まで祇園社と名乗っていたから。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫尊(くしなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)。厄除け・疫病退散・商売繁盛のご利益を授かる神社として信仰を集めている。現在の本殿は1654(承応3)年、徳川4代将軍・家綱の寄進によるもの。祇園造りと称する特殊な建築法で国の重要文化財に指定されている。
京都最古の神社といわれており、太古にこの辺りの住民が松尾山の神霊を祀り、生活守護神としたのが起源。5世紀頃、朝鮮から渡来した秦氏が一族の氏神として仰ぎ、701(大宝元)年にこの地に社殿が造営された。現存する本殿は室町時代に建てられた松尾造りと呼ばれるもので、安置された男神像2体と、女神像1体とともに重要文化財に指定されている(御神像は宝物館で拝観可能)。境内には霊亀の滝と亀の井の名水があり、本殿北東隅から湧き出る亀の水を醸造の際に加えると酒が腐らないといわれ、酒造業者の信仰を集めている。酒の神としても信仰が厚いことで有名。
大宝年間(701〜704年)に修験道の祖である役行者と白山を開いた泰澄が朝廷の許しを得て朝日峰(愛宕山)の頂に社殿を建立したのが始まり。その後、和気清麻呂が白雲寺を建立し、愛宕大権現として鎮護国家の道場としたと伝えられる。全国に900社を数える愛宕神社の本社で、全国にある愛宕山の地名はこの愛宕神社の分社に由来する。古くから火事を恐れる京の人々は火伏(ひぶせ)・防火への関心が高く「お伊勢七度、熊野へ三度、愛宕山へは月参り」といわれるほどの信仰を集めた。現在も古と同じで足で登るしか手段がなく、登山口の清滝から表参道を2時間で神社。ちなみに奥嵯峨にある一の鳥居からは、50丁で愛宕神社。毎年7月31日から8月1日にかけての深夜登山の「千日参り」(正式には千日通夜祭)は1000日分の御利益があるとして参拝者が多い。京福電鉄嵐山駅前〜清滝には京都バスが路線バスを増発。
上賀茂神社は、正式名を賀茂別雷(かもべつわけいがずち)神社という。平安遷都以前に、京都で大きな勢力を持っていた賀茂氏の祖先を祀る神社で、遷都後は下鴨神社とともに王城鎮護の役割を担った。上賀茂神社の本殿は国宝、34ある社殿は全て重要文化財で、神域の地形に応じて巧みに配置されている。もちろん世界遺産に登録。5月15日には京都三大祭の「賀茂祭」(「葵祭」)がしめやかに行なわれる。社伝によれば、6世紀、欽明天皇の時代に始まったという歴史ある祭りだ。雷(いかづち)の力であらゆる災難を取り除くという「厄除け」、鬼門の守り神ということから「方除け」に御利益大。













