築220年以上という、秋山郷(あきやまごう)の典型的な民家、福原家の総本家を公開。合掌造りの流れをくむ、中門(ちゅうもん)造りという雪国の造りになっており、屋根は茅葺きで大きな柱、囲炉裏や土間もある。内部では『秋山記行』、『北越雪譜』の著者で江戸時代の文人・鈴木牧之(すずきぼくし)が訪れた当時の地図や、秋山郷を襲った飢饉の歴史を紹介。ここから50mほどのところには、民俗資料館と観光案内所を兼ねた、秋山郷総合センター「とねんぼ」があり、1階の資料館では、秋山郷にあった200年前の民家を再現。焼畑農業の資料や、今でも健在のマタギの暮らしぶりを紹介している。
明治9年頃に地元の大工が建てた、擬洋風建築の小学校。昭和38年まで実際に小学校として使用され、現在は教育資料館として、当時の教科書や教場日誌などを展示している。屋根の中央には、風見鶏が付いた八角塔、玄関上の表札には天使が舞い、さらにその下には竜の彫刻が施されるという、文明開化期のアンバランスなデザインにも注目を。天使になぜかおちんちんが付いているのは、修復時に付加したものとか。
新潟県糸魚川と松本を結ぶ、全長30里(約120km)の塩の道(千国街道)。かつて日本海の塩や海産物を山国信州へと運ぶ、生活物資ルートだった。小谷村(おたりむら)に残る牛方宿(うしかたやど)は、荷をつけた牛を引く牛方と牛が同じ屋根の下で疲れをいやした宿。間口5間半、奥行き8間の大きな茅葺きの民家で、冬の豪雪に耐えるようにどっしりとした造り。内部には牛を置いた土間や、商人の寝泊まりした奥座敷などがある。
街道時代の面影を色濃く残しているのが、下社秋宮(しもしゃあきみや)あたりの旧中山道。本陣を務めた岩波家には、街道時代の建物の一部と庭園が保存され、見学可能だ。全国の銘石を集め、地形を巧みにいかして作庭した築山式石庭園は、「中山道随一の名園」とたたえられ、高雅な京風の雰囲気が漂う。春のツツジ、初夏のアヤメ、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の表情が楽しめる。
参勤交代の際、大名が宿泊したのが本陣。小諸宿の本陣主屋は、もとは旧小諸本陣問屋場隣にあったが、明治11年、一度は佐久市の桃源院に移された。平成7年に再び小諸市に寄贈され、大手門公園横に移築、復元された。この小諸宿本陣主屋は18世紀〜19世紀の建築といわれ、内部の見学が可能。北国街道小諸宿の資料も展示されており、街道時代の歴史を学ぶことができる。◆2005年4月から休館中
明治8年に開校した尋常小学校、成知学校が前身の擬洋風建築。重要文化財、国の史跡にも指定される建物で、併設の資料館とあわせて見学が可能だ。寄棟造り、妻入桟瓦葺きで、壁は漆喰塗り。また2階にはベランダ、屋根の上には八角形の望楼、太鼓楼がのっている。設計は地元の棟梁、市川代治郎。岩倉具視(ともみ)の渡米に随行し、洋風建築を学んだ人物で、まだガラスも珍しかった時代に、ステンドグラスを使用している。
明治38年に落成し、昭和45年まで軽井沢を代表するホテルとして営業した木造2階建ての洋館。現在は国の重要文化財に指定され、当時のロビーや客室の一部などが公開されている。かつて乃木大将、大隈重信らの要人が利用した、軽井沢の鹿鳴館ともいえる存在で、華やかなりし時代を今に伝えている。茶色い外壁の板に白くペイントされたアーチ型の窓枠など、内外観とも細やかな意匠が施され、見どころが多い。
平成3年、奈良井川に架けられた太鼓橋。橋脚を用いない木橋では日本一という、長さ33m、幅6.5m、水面からの高さ7mの大橋。樹齢250年〜300年の木曽ヒノキを使用した総檜造り。橋に用いた材木で、5軒〜6軒分の家が建てられるという贅沢なものだ。4月上旬〜11月下旬の日没後にはライトアップされ、水面に白木の橋が映り込み、みごとな景観を楽しめる。橋のたもとには水辺のふるさとふれあい公園も整備され、散策に最適。
櫛問屋中村家の建物を、古民家の特徴がわかる資料館として公開。建てられたのは、1830年〜1844年の天保年間。間口が狭く、奥行きが深い出梁(だしばり)造りという、奈良井宿独特の造りだ。入口のくぐり戸を入ると、家の裏側まで通りの土間が続く。囲炉裏とかまどの両方がある「勝手」は、いわば江戸時代のダイニングキッチン。木曽谷の古民家に多く見られる形式で、暖房効果を高めて冬の寒さをしのぐ雪国ならではの知恵だ。
日本で初めて町並み保存事業が行なわれた、妻籠宿(つまごじゅく)・寺下地区に復元された江戸時代の建物。江戸時代中期の木賃宿を解体復元した上嵯峨屋には、通り土間や旅人が雑魚寝をした座敷などが復元されている。下嵯峨屋は、江戸時代の長屋の一戸分を復元したもの。いずれも当時の庶民の暮らしぶりを伝える貴重な資料館として公開され、随時無料で見学できる。

