1472(文明4)年開基の曹洞宗の古刹。本堂の天井に描かれた『八方睨大鳳凰図』(はっぽうにらみほうおうず)は、北斎が小布施(おぶせ)に残した作品のなかでも必見のもの。これは、北斎晩年の大作。実に21畳という大きさで、極彩色豊な岩絵具が施され、その金額は当時150両との記録が残されている。本堂で静かに座って鑑賞できる。小林一茶の「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」は、1816(文化13)年に病弱な初児、千太郎への命乞いの気持ちを込めて境内で詠んだ句。本堂裏の石段を上ったところには、賤ヶ岳七本槍のひとりに数えられ、1624(寛永元)年に没した福島正則の霊廟が建立されている。霊廟には、遺骨が埋葬され、左遷状や太閤葬儀行列張などが納められている。
寺伝では、642(皇極天皇元)年創建と伝えられる、善光寺。『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから百済を経由し、6世紀に日本に渡ってきた日本最古の仏像(秘仏)という。平安時代にはすでに善光寺を極楽浄土とする信仰が生まれ、古くから庶民の信仰を集めていた。この善光寺詣での特徴が、「お戒壇(かいだん)めぐり」。本堂の本尊下の真っ暗な通路をたどり、本尊真下にある「極楽のお錠前」に触れると、極楽往生が約束されるという。国宝で、江戸時代中期の仏教建築の傑作という本堂、重要文化財の三門や経蔵(きょうぞう)など、みどころも多い。梵鐘は1667(寛文7)年に鋳造されたもので、「残したい日本の音風景100選」のひとつ。日の出とともに本堂で始まる「お朝事(あさじ)」は、善光寺全山の僧侶が参加する朝のお勤め。一般でも内陣券を購入すれば参列できる。お朝事の前後には、法要の導師を務める善光寺の住職が参道を歩く間に参道にひざまずく参詣者の頭を数珠で撫でて功徳を授ける「お数珠頂戴」の儀式がある。
1547(天文16)年、武田信玄の家臣であった真田幸隆が、真田郷(現・真田町)の松尾城内に真田山長谷寺として建立、1564(永禄7)年に松尾城外に移されて本格的な禅寺となった。1622(元和8)年、上田藩主・真田信之の松代移封にともない現在位置に移され寺号が長国寺となった。真田家の菩提寺で歴代藩主の墓や、真田信之、信弘の霊屋がある。なかでも信之の霊屋は、破風の鶴は左甚五郎、格子天井の絵は狩野幽筆の作と伝えられ国の重要文化財に指定されている。
1568(永禄11)年創建の曹洞宗の古刹。8代住職の晃天園瑞(こうてんえんずい)が、1756(宝暦6)年、京都遊学の際に天王寺蕪の種を持ち帰り、野沢温泉でまいたところ、茎と葉が異常に成長。これが野沢菜になったという。あくまでも伝承で、DNAを検査すると天王寺蕪ではない何か別のものを買わされた可能性が大なのだが、結果として葉が成長する野沢菜が誕生した。寺には野沢菜発祥の寺を記す碑もあり、現在も隣接する保泉地で野沢菜を栽培している。7月中旬〜8月中旬なら、「寺種」と称する種子を1袋1デシリットル入り800円前後で分けてもらえる。数に限りがあるが、購入希望の場合は、庫裏玄関へ。薬師堂に祀られた薬師瑠璃光如来は上杉謙信の陣中守り本尊だったと伝えられている。
諏訪大社下社春宮(しもしゃはるみや)の脇を流れる、砥川(とがわ)沿いの畑のなかに鎮座する阿弥陀仏が、万治(まんじ)の石仏。高さ2m、どっしりとした椀形をした石の上に、小さな愛らしい頭をのせている。「万治3年11月1日」と刻まれており、約330年前に作られたものだが、起源や歴史についてはわかっていない。岡本太郎氏は「この石仏を見ずして日本の石仏は語れない」と絶賛。不思議な魅力がある。
弘法大師の開基と伝えられる古刹。古い松やケヤキ、山桜の並ぶ参道を通り、石段を上ると山門。山門の向こうに見えるのが、室町末期建築の国の重要文化財、三重塔。「未完成の完成塔」と賞されるが、未完とされるのは、2層目と3層目に欄干や窓がないため。その簡素さがかえって美しく、人々の共感を呼んだという。住職夫人が手作りする、名物のくるみおはぎも美味。要予約で700円。庫裏の座敷にて接待される。
鎌倉時代の創建で、禅寺として信州最古の寺。鎌倉時代中期にはすでに鎌倉の建長寺に相当する大規模な寺だった。北条氏の保護で栄え、多くの学僧を輩出した。塩田平が「信州の鎌倉」といわれるが、その中心的な存在。境内から石段を上ったところにある八角三重塔は、国宝に指定されている。三重塔は、一見すると四層に見えるが、いちばん下は裳階(もこし)と呼ばれる庇(ひさし)の役割を果たす部分。この様式は中国の宋時代のもので、日本では禅宗様(ぜんしゅうよう)、唐様(からよう)などといわれ、鎌倉末期から室町期によく造られた様式だ。
南を向く善光寺と向かいあって北を向いているため、この名が付けられたという北向観音堂(きたむきかんのんどう)。現世利益のこの観音様と、阿弥陀様を祀る来世利益の善光寺とをあわせてお参りすれば、現在未来ともに安穏というわけだ。境内には、観音様が留まり縁結びの御利益があるという木、愛染(あいぜん)カツラや愛の守り神を祀った愛染堂、舞台造りと呼ばれる温泉薬師堂など、みどころが多い。
本堂の裏手から、北向(きたむき)観世音菩薩が現れたとされる、北向観音堂の本坊。本堂裏手の杉木立ちのなかにある高さ274mの苔むした石塔、石造多宝塔は、国の重要文化財に指定されている。また「常楽寺美術館」も併設されており、徳川家康日課念仏や、葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いたとされる「劉備壇渓渡河図」絵馬など、貴重な資料の見学が可能だ。
千曲川沿いに絶壁となってそそり立つ、布引(ぬのびき)山にある。参道入口から岩のごろごろした坂道を20分ほど登ると、京都・清水寺の舞台を思わせるような、懸崖(けんがい)造りの観音堂に着く。この地は、「牛に引かれて善光寺参り」の伝説発祥の地で知られる場所。参道には無数の石仏をはじめ、牛岩という奇岩や、善光寺へと通じる洞穴「善光寺穴」があり、善光寺と布引観音を詣でて初めて大願成就するという。




