長崎伝統芸能館は重要無形民俗文化財の指定を受ける「長崎くんち」の資料館で、グラバー園に併設される。長崎くんちは、長崎市民の氏神、鎮西大社諏訪神社の祭礼で、1634(寛永11)年に神前に謡曲「小舞」を奉納したのが始まりといわれ、旧暦の9月9日(くんち)に行なわれるのがその名の由来。現在では10月7日から3日間、町を挙げて開催される。館内には奉納踊りに使用する龍踊りの龍体や龍船、唐人船、傘鉾などが展示され、大型スクリーンでは、映画も常時上映され、ダイナミックな長崎くんちの雰囲気が味わえる。
現存する長崎の孔子廟は、明治26年、中国清朝政府と華僑によって建てられたものを昭和54年、中国政府の援助によって修復したもの。色鮮やかな華南と華北の建築様式が融合した建物で、中国本廟の伝統美を極めている。孔子の弟子をモデルにした72体の等身大の七十二賢人像などの石像、建材などはすべて中国から取り寄せたもの。併設の中国歴史博物館には、北京故宮博物館から借り受けた宮廷文化財など、中国の国宝級の芸術品が展示されており必見だ。
長崎を愛した日本近代洋画の先駆者、野口彌太郎の作品を展示する美術館。昭和初期のヨーロッパ滞在時に描かれた作品から晩年に至るまでの油彩、水彩など335点を収蔵し、4月と11月に展示替えを行ないながら常時40点ほどを展示している。野口彌太郎は、虚弱な体質を案じた父が明治44年、12歳の時に父の郷里、長崎県北高来郡小野村に転入させるが父が神戸に転任となり、すぐに神戸で暮らすようになる。その後も幾度か長崎を訪れている。昭和4年に渡欧しフォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)の影響を受ける。戦後も長崎をたびたび訪れ、代表作の『長崎の風』(昭和39年)、『オランダ坂』(昭和29年)、『長崎の情緒』(昭和40年)など多くの作品を残している。
昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆の惨状を伝える資料館。記録映画の上映や実際に被爆した大型の被災資料の展示や、被爆した浦上天主堂の側壁(再現造型)の展示により、被爆直後の長崎の惨状を再現し、原爆の恐ろしさを訴えている。また、原爆が投下されるに至った経過や、原爆投下前の平和な町並み、核兵器開発の歴史、平和希求などストーリー性をもった展示が行なわれ、原爆を冷静に伝える現実が心を打つに違いない。また同時に「平和は長崎から!」の思いを込めて、世界の核兵器廃絶を訴えている。
出島和蘭商館跡にある出島史料館は、貿易と文化という2つの視点で、1634(寛永11)年から2年がかりで造られた出島の歴史や生活などを紹介する施設。建物は、明治10年に建てられた出島神学校を修復したもの。また、史料館横にある「ミニ出島」は、実物の15分の1の大きさで出島を再現したもの。シーボルトの専属絵師だった川原慶賀が、1820(文政3)年頃の出島を描いたといわれる『長崎出島之図』を参考に造られ、扇形の人工島として誕生した出島の構造がよくわかる。
長崎港を見下ろす南山手地区。南山手地区には洋館を主体とした34軒の伝統的建造物があり、東山手地区とともに平成3年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。南山手地区の洋館巡りのビジターセンター的な役割を担って平成4年にオープンしたのが南山手地区町並み保存センター。もともとは明治中期に英国人ウィルソン・ウォーカー氏により建造された建物(南山手8番館)で別の場所にあったものを移築して資料館として再生した。木造2階建ての建物の1階部分は長崎居留地のジオラマなどが置かれ、居留地の歴史を学べる仕組み。
明治26年に建てられた旧平戸藩主の住居を再生した博物館。土台の石垣は安土城の築城法である高石垣。松浦家代々の秘蔵品を中心に展示するが、必見はやはり西欧貿易関連資料。1550(天文19)年のポルトガルの来港を皮切りに、スペイン、オランダ、イギリスと交易した歴史資料は平戸を知る上でぜひ見ておきたいものだ。ミュージアムショップでは、ポルトガルグッズ、天球儀、外国人之図屏風などユニークなグッズを販売。併設の喫茶眺望亭では、当時のレシピをもとに再現したクッキー(カネールクーク)を味わうこともできる。
海軍士官の会合などに使われていた佐世保水交社の建物の一部を修復し、新館を増設して平成9年に完成した史料館。日本の海軍の軌跡とともに、海軍の街として歩んできた佐世保の歴史を詳細に紹介している。長崎で海軍が誕生したことを紹介する長崎海軍伝習所のジオラマを皮切りに、日清・日露戦争、太平洋戦争、そして戦後創設された海上自衛隊と海軍の歴史を学ぶことができる。売店では、部隊識別帽、各艦の艦バッチ、「海軍さんのカレー」などユニークなグッズも販売。7階の展望ロビーからは佐世保港を一望にするのでお見逃しなく。
島原城に併設される観光復興記念館は。平成2年11月に始まった雲仙普賢岳の火山活動の経過を中心に、島原の歴史や文化を紹介する資料館。1階は120人収容のホールで、200インチのワイドスクリーンによる記録映画を上映。2階の展示ホールでは火砕流発生のメカニズムをシミュレーション模型によりわかりやすく解説。火砕流で焼けた電柱、バイク、ガードレールも展示されている。「島原大変肥後迷惑」といわれた200年前の噴火災害の資料も展示している。
平成2年11月、198年ぶりに長崎県の雲仙普賢岳が噴火活動を開始。平成8年6月の噴火終息宣言に至るまで、普賢岳で何が起きたのかを解説する体験型のミュージアム。雲仙普賢岳のジオラマに火砕流と土石流のシミュレーションCGの映像を重ね合わせた「平成噴火シミュレーション」、直径14mのドーム型スクリーンで噴火を疑似体験する「平成大噴火シアター」、火砕流のスピードを走り去る光により体感する長さ40mの「火砕流の道」、寛政年間の噴火を紹介する「島原大変シアター」などいずれも迫力満点で火山の恐ろしさを実感する。







