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瑞雲寺前の坂で、坂の上を見上げると、石畳と白壁、そして寺院に重なる聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の尖塔。上方に正宗寺、手前に光明寺、その下に端雲寺、3つの寺院と教会の尖塔という組み合わせは観光ポスターにもよく使われる光景で平戸を代表する景色となっている。『男はつらいよ』(第20作・寅次郎頑張れ!)のロケにも使われた場所。

1609(慶長14)年、平戸にオランダ船が入港して以来、33年間の間、オランダ商館、倉庫の置かれた平戸。1618(元和4)年、付近の民家50戸を取り払った大規模な商館の増築工事にともない誕生したのがオランダ塀。商館の目隠しと、火事などの延焼から守るために設置されたもの。江戸時代の絵図にも「阿蘭陀塀」と記されている。高さは約2m、厚さは70cmで、漆喰(しっくい)で塗り固められ、石段に沿って続いている。常灯の鼻に残された石積などとともに当時の商館の面影を伝える貴重な遺構だ。

オランダ商館跡近くにある埠頭。埠頭といっても海岸の護岸部分に石段が残されているのみだが、実はこの石段が別名えびす埠頭とも呼ばれ、商館が建てられていた時の荷揚げ用の階段。当時はアーチ型の門があり日本の玄関口としての偉容を誇ったという。階段状になっているのは潮の干満に対応するため。江戸時代初期の33年間はこの石段が日本の西欧文化への玄関だったわけだ。

武家屋敷跡は、扶持(ふち)取り70石以下の島原藩の下級武士たちの住居が建ち並んだエリア。島原城の北西にあり、下の丁と呼ばれるあたりに苔むした石塀が続き、約400mに渡って家並みが保存されている。山本邸、篠塚邸、島田邸などが一般公開され見学が可能。通りの真ん中には、熊野神社を水源とする清流が今も流れている。藩政時代は水奉行を置き飲料水として厳重に管理された大切な生活用水で、往時の面影を今もとどめている。武家屋敷の一角にある売店では、島原名物の「かんざらし」や甘酒で休憩ができる。

島原市は、古くから「水の都」と呼ばれ、雲仙山系からの伏流水が市内随所に湧出し、「島原湧水群」として環境省の「日本名水百選」にも選定されている。市内でも新町一帯は、とくに湧き水が豊富で、1日1万tが湧出する。清流の流れる水路に、市民が鯉を放流し「鯉が泳ぐまち」として、観光客の目を楽しませてくれる。新町町内会が湧水を大切にしようと昭和53年に鯉を放したのが始まり。今では1000匹の鯉が泳ぐようになった。毎年子供の日に鯉の放流が行なわれている。

出島は、1636(寛永13)年に築造され、218年間にわたり、鎖国のなか唯一西欧に開かれた場所。現在では周囲が埋め立てられわかりづらいが、長崎港に注ぐ中島川を遡った場所に位置していた。平成8年から出島の復元が始められ、現在、「一番船船頭部屋」、「一番蔵」、「二番蔵」、「料理部屋」、「ヘトル(商館長次席)部屋」などが一般公開されている。2010年には25棟の建物が復元される予定。一番船船頭とは貿易品を運ぶオランダ船の船長のこと。つまり「一番船船頭部屋」は、オランダ船船長が滞在した部屋で、当時の室内を再現し公開している。

その昔、長崎の人々は、東洋人以外の外国人をオランダさんと呼んだ。東山手一帯は外国人居留地となった場所で、外国人の往来が多かった坂をオランダ坂と呼んだ。もっともよく知られているのは、活水女子大学へと続くオランダ坂で、石畳の坂道に洋館が建ち、「日本の道百選」にも選ばれている。

平戸市街地の六角井戸(明の商人が使用したと伝えられる井戸)近く、浦の町天満宮の登り口に植えられている大ソテツ。江戸時代初期の貿易商、川崎屋の庭に植えられていたもので、樹齢およそ400年といわれている。かつて延命町(現在の浦の町)は平戸で一番栄えた場所で、川崎屋助右衛門、半田五右衛門などの貿易商が軒を並べていた。吉田松陰も50日ほどこの延命町に滞在したことがあり、松陰も見た大ソテツということになる。

1858(安政5)年の5ヶ国と結んだ修好通商条約により設けられた長崎の開港場の居留地は、長崎港を見下ろす南山手地区と東山手地区からなる。東山手は領事館、礼拝堂、住宅があり、大浦天主堂やグラバー園などがある南山手はとくに住宅地として使われていた。大浦川左岸に位置する南山手一帯には明治初期から中期にかけての洋風住宅や教会などが建ち並び、石畳の道、石造りの側溝、石垣、煉瓦塀など周辺の環境とあいまってエキゾチックな雰囲気が漂っている。一帯17.0haは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。グラバー園はもちろん、明治37年に建てられた旧香港上海銀行長崎支店記念館、明治31年築の長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所)など国の重要文化財も多数あるのでハウスウォッチングにも最適。

長崎港を見下ろす南山手の高台にあるグラバー園。一帯は昔、外国人の居留地だった場所。旧グラバー住宅や旧リンガー住宅、旧オルト住宅など国の重要文化財の他、市内にあった明治時代の洋館を移築公開している。日本最古の木造洋館の旧グラバー住宅は、英国人トーマス・ブレーク・グラバーの遺邸。グラバー氏は1859(安政6)年に長崎に来て貿易業を営み、日本の近代化にも貢献した。邸内には応接室などが再現され、往時の生活を彷彿とさせる。また、旧オルト住宅は、1865年頃、大浦天主堂を建築した小山秀之進が施工したといわれ、高い天井を支えているタスカン様式の列柱が印象的な建物。英国人貿易商ウィリアム・オルト氏の旧宅。夜間はライトアップされる。

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