旧グラバー住宅は、グラバー園の中心となる建物で、英国人トーマス・ブレーク・グラバーの遺邸。日本最古の木造洋館として知られ、グラバー氏が自ら設計し、大浦天主堂を建築した日本人大工の小山秀之進が施工した。コロニアル風の開放的な建物は、国の重要文化財にも指定されている。グラバー氏は1859(安政6)年に長崎に来て貿易業を営み、日本の近代化にも貢献した。邸内には接客に使われた応接室などが再現され、往時の生活を彷彿とさせる。夜間はライトアップも実施。
グラバー園の旧三菱第二ドックハウスは、1826(明治2)年に建てられた洋館で、木造2階建ての建物。ドックハウスとは、船が修理のためにドックに入っている間、乗員が宿泊する施設のこと。三菱重工長崎造船所第二ドックの建築にともない、その近くに建てられていたが昭和49年にグラバー園に移築された。グラバー園の中でも高台にあり、2階のテラスからは、長崎港を見渡すことができる。館内には、当時の様子を再現した部屋もある。夜間はライトアップも実施。
旧長崎地方裁判所長官舎は、明治16年に長崎地裁、控訴院などとともに建てられたもので、明治初期の西洋化を反映した典型的な官庁建築。当時は、長崎の居留地外にある唯一の洋風住宅として、現在の市役所付近に建てられていた。長崎地裁、控訴院は太平洋戦争の原爆の被害を受けたが、長官舎は奇跡的に残り、その4割にあたる建物を昭和54年にグラバー園に移築、一般に公開している。
英国人フレデリック・リンガー氏の遺邸。明治初年頃に建てられた外壁石造りの洋風住宅で、国の重要文化財にも指定されている。1864(元治元)年に来日したリンガーは、明治元年にホーム・リンガー商会を設立し、貿易、遠洋漁業、ガス会社、製茶業、製粉業など幅広く事業を展開し、明治から昭和の初期に渡って、長崎の産業発展に貢献した。邸内には約100年前に作られたオルゴールも展示されている。夜間はライトアップされる。
旧オルト住宅は、1865(慶応元)年頃、大浦天主堂を建築した小山秀之進が施工したといわれ、高い天井を支えているタスカン様式の列柱が印象的な建物。幕末・明治初期に長崎に建てられた洋風建築物のなかで、現存する最大規模のもの。英国人貿易商ウィリアム・オルト氏の旧宅で、国の重要文化財に指定されている。オルト氏は、貿易商として長崎を訪れ、オルト商会を設立、製茶業などを営んだ。邸内には、家具、食器、花瓶、鏡、燭台など当時の生活用品が、ほぼ当時のままに残されている。夜間はライトアップされる。
オランダ坂の上に位置する東山手十二番館は、明治元年にロシア領事館として建築された洋館で、その後アメリカ領事館、宣教師の住宅として使用されていた。幅広い廊下、大きな間取りの3つの部屋など領事官時代の雰囲気を色濃く残しており、国の重要文化財に指定されている。建物は修復され、「長崎市旧居留地私学歴史資料館」として外国人居留地に創設された私学の歴史を紹介する資料館に再生されている。夜間はライトアップも実施。
福建会館は、明治元年に福建省泉州出身者により創設された旧ハビン会所で、媽姐(まそ)神を祀る唐寺。明治30年に改装され、福建会館と改称された。本館の建物は原爆により倒壊したため、正門と天后堂のみが現存している。正門は異国情緒漂う朱塗りの門で、長崎市の有形文化財に指定されている。媽姐神は、菩薩や天后聖母などとも呼ばれ、航海の守り神といわれている。
土神堂(どじんどう)は1691(元禄4)年、唐船の船頭たちの願いが許可され、中国人の居留地だった唐人屋敷に建立された土神の石殿。土神とはその名の通り土を司る神のことで、それを祀ったのが石殿。1784(天明4)年の大火で焼失したが、興福寺などの唐三か寺や華僑たちによって改修保存されてきた。老朽化により昭和25年に解体され、現在の建物は、昭和52年に長崎市が復元したもの。例年2月2日には土神祭が開催され、劇や唐踊りが奉納される。
1689(元禄2)年、長崎各地に住んでいる中国人を集めて造られた外国人居留地が唐人屋敷で、その遺構のひとつが観音堂。1737(元文2)年に建立された寺で、現存する建物は、大正6年に、華商の鄭永超が改築したもの。本堂には観世音菩薩と関帝が安置されている。入口のアーチ型の石門は、唐人屋敷時代のものと推定されている。
長崎市内の中央を流れる中島川には、重要文化財の眼鏡橋のほか、桃渓橋(ももたにばし)、袋橋、日本最古の鉄製道路橋である出島橋など20を超える石橋が架けられ、中島川石橋群と呼ばれている。河畔には遊歩道も整備され、散策を楽しむにも絶好の場所。東新橋は、1673(延宝元)年に架橋されていたという歴史ある橋。現在のものは昭和57年の長崎大水害により流出したため昭和61年に、昭和の石橋として架設されたもの。17:00〜22:00にはライトアップも行なわれる。







