興福寺は、明国江西省の僧・真円が航海の安全を祈願して1620(元和6)年に開山、寺町に媽姐(まそ)神を祀る堂を建立したのが起源と伝えられる。1632(寛永9)年に唐僧の黙子如定(もくすにょじょう)が訪日し、2代目の住持となり本堂である大雄宝殿を創建。1865(慶応元)年に暴風で大破したため、現存する建物は明治16年再建された中国建築のもの。大雄宝殿と旧唐人屋敷門は国の重要文化財に指定されている。興福寺中興の祖は、日本黄檗宗の開祖で明からやって来た隠元禅師。禅師が日本で最初に住持した隠元ゆかりの寺でもある。
空海が開いたと伝わる平戸の古刹で、「西の高野山」とも呼ばれる九州の大師信仰の中心地。境内には1609(慶長14)年建立の奥の院、平成元年に弘法大師の1150年御遠忌を記念して建てられた高さ33.5mの三重の塔など必見の建築物もある。また宝物館である「霊宝館」には国指定重要文化財の『絹本着色仏涅槃図』など、日本の密教美術品や朝鮮李朝期の貴重な作品を展示収蔵している。また節分に行なわれる「子泣き相撲」は、1歳までの赤ん坊が向かいあい、先に泣き出した方が勝ちという行事で、「泣く子は育つ」ということわざに由来。
松平氏が島原城主となって20年目の1689(元禄2)年に希声英音和尚によって開山され、松平家の菩提寺となった寺。寺がある場所は中世には、領主であった島原氏の出城、丸尾城があった場所。境内には松平家墓地、十六羅漢窟のほか島原城内から移築された常盤御殿があり、常盤御殿は「常盤歴史資料館」として松平家の遺品など1000点余を収蔵展示している。十六羅漢は、島原藩4代城主・松平忠刻が、領内から17人の石工を選んで1人1体ずつ刻ませた石仏。
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