山田池と、その周囲の豊かな自然を生かした公園。75.2haの園内には水生花園や、ハナショウブ園、アジサイ園など花木園をはじめ、オーストラリアの植物が植栽されるクイーンズランド庭園など四季折々の花と緑を楽しめる。また、池を一望する展望広場や散策路が整備されている。鳥獣保護地区にもなっていて野鳥も多く生息し、バードウオッチングにも最適。
鋳物師発祥の地といわれる河内で、河内国惣官鋳物師として独占的に営業を許されていた田中家の母家と工場を移築し、公開している資料館。工場内には、江戸時代中頃の踏鞴(タタラ)などを復元し、鋳造工程や設備など鋳物についての資料を展示、住宅内には枚方の民俗資料なども公開している。また、敷地内に田口山遺跡で発掘された住居跡をモデルに竪穴住居が復元され、管理棟に発掘資料などが展示されている。
701(大宝元)年、役小角によって開かれ、弘法大師が再興したと伝えられる河内長野市にある古刹。後醍醐天皇から保護を受け、建武新政直後の1334(建武元年)頃、楠木正成を奉行として、現在残っている金堂(国宝)を造営。本尊の如意輪観音も国宝に指定されている。1336(延元3)年、湊川の戦いで討ち死にした楠木正成の首は、足利尊氏の命により観心寺に届けられ首塚として祀られた。梅、桜、ツツジ、スイレン、椿などが咲く花の寺としても有名。
約20haという広大な敷地に整備された大型観光農園。農業の振興と活性化を図り、農作物の栽培や収穫を通して、自然の恵みを実感し農業に対する理解を深めることができる絶好の施設だ。季節ごとに野菜の収穫や花摘みが楽しめる「どろんこランド」、ブドウ狩りの楽しめる「もぎとりランド」など収穫体験できる施設が揃う。ほかに、ハーブガーデンやバラ園や、アスレチック遊具のある「ぼうけん砦」、自由に遊べる広大な芝生広場などが整備されている。四季折々の花が楽しめる花畑や、熱帯の果樹が植えられた温室もあり、散策するだけでも充分楽しめる。リースや押し花づくりなどの教室も開催する。
約10haの敷地に花畑や芝生広場、バラ園、アジサイ園、ぼたん園、梅園など四季を通じて咲く花を楽しめる植物園。ピラミッド型の大温室は、花の文化園のシンボルともなる施設で、洋ランや熱帯の花木約480種5300株、サボテンや多肉植物約70品種400株が栽培され見応え満点。また、園内の「花の工房」では、園芸や押し花講座のほか、テーブルアレンジ、ドライフラワー、花のアクセサリーづくり、花器を作る陶芸など多彩な体験講座も開催する。ガーデンショップや花壇を眺めながら食事ができる中華レストランも併設している。
第29代・欽明天皇の勅命で応神天皇陵の前に設けられた日本最古の八幡宮。1051(永承6)年、後冷泉天皇の命で現在地に移され、鎌倉幕府などの尊崇を集めた。現在する本殿、拝殿は、1606(慶長11)年、豊臣秀頼の再建。拝殿の建造がちょうど大坂夏の陣に当たったために、建物の内部は未完成に終わっている。収蔵庫に保管される源頼朝寄進の「塵地螺鈿金銅装神輿」(ちりじらでんこんどうそうしんよ)は国宝。9月15日の秋祭りには、国宝の神輿が応神天皇陵に渡御する儀式も行なわれる。
藤井寺市から羽曳野市にかけての一帯は、日本屈指の大型古墳の集中エリア。それが古市古墳群で、前方後円墳31基、円墳30基、方墳48基、墳形不明14基の計123基の古墳がある。墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳は6基あるが、そのうち最大のものが羽曳野市にある応神天皇陵。墳丘長約415m、後円部径256m、前方部幅330m、最大幅50m以上の濠を持つ5世紀初頭の古墳は、面積では仁徳天皇陵に次いで全国第2位だが、体積では日本最大。羽曳野市では「世界一の前方後円墳」として紹介している。陵墓の表面は葺石で覆われ、円筒埴輪が多数並べられている。縦穴式石室や長持形石官が収められる内部は非公開。
7世紀後半、百済(くだら)の16代・辰斯王(4世紀末)の王子で日本に帰化した辰孫王の子孫、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり=白猪史広成・しらいのふひとひろなり)が当時の天皇の仏教興降政策に協力して創建と伝えられる古刹。725(神亀2)年、聖武天皇の勅願によって七堂伽藍を整えた。藤井寺の地名はこの寺に由来。平安時代以降、今日まで西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の第5番札所として多くの人の信仰を集めてきた。聖武天皇の勅願により安置され、行基が開眼と伝えられる本尊の「乾漆千手観音菩薩座像」は大阪府下で唯一の天平時代の仏像として昭和13年に国宝指定を受けている。本尊は毎月18日に開扉、公開され本堂内部とともに拝観できる。近世は豊臣家・徳川家の庇護を受け、四脚門は、1601(慶長6)年、豊臣秀頼が寄進したもので国の重要文化財。4月の末には「藤の花まつり」が行なわれ、境内の5ヶ所にある藤棚が美しい紫色に染まる。その後に咲き始める白い藤も、訪れる人の目を楽しませてくれる。
古代には土師寺・土師神社といい、この地に住んで初めて埴輪をつくったと伝わる土師氏(はじし=古墳造営や葬送儀礼にかかわった古代の豪族。光仁天皇から「菅原」の姓を賜った)の氏寺(土師寺)と氏神(土師神社)をルーツとする。903(延喜3)年、九州の太宰府で病死した菅原道真の自作という像を没後の947(天暦元)年に祀ったのが天満宮としての始まり。道真の伯母・覚寿尼が土師寺の住持だったことから道真の遺品がここに届けられた。織田信長軍の兵火で五重塔などを焼失するも、後に織田信長、豊臣秀吉、徳川歴代将軍の尊崇を受けた。江戸時代までは神仏混淆だったが、明治初年の神仏分離令により、5坊のうち、一之室、二之室の住持が神職家となり、天満宮を継承し、道明寺は道を隔てて西に移築された。現存する権現造りの本殿は江戸初期の再建。本殿背後の梅園に80種、800本の梅が植栽され2月中旬〜3月上旬に見頃を迎える。菅原道真が写経した大乗経を埋納した経塚から生えたという「もくげんじゅ」は、大阪府の天然記念物で、その種子で数珠を作り、念仏を唱えると、極楽往生できると謡曲『道明寺』に歌われている。
富田林市の南東、嶽山(だけやま)中腹にたたずむ真言宗の古刹。595年(推古天皇2年)、勅命により、薬師如来を本尊として蘇我馬子が創建した。蘇我馬子によって建立された。823(弘仁14)年、空海(弘法大師)が祈祷を唱え、龍王を祀ったところ枯れ池の水を蘇らすことができた。竜泉寺という寺名はこの故事に由来する。池に誕生した3つの島に、聖天、弁財天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守とした。南北朝時代には楠木正成が嶽山山頂に龍泉寺城を築いたため戦火に巻き込まれ、戦国時代には兵火を受け荒廃。現存する社殿はその後の再建だが、仁王門は鎌倉時代のもので、府下最古の八脚門として国の重要文化財に指定されている。国の名勝、龍泉寺庭園は湧き水をたたえる浄土式庭園。小島に建つ社の形から平安時代のものともいわれている。

