世界最大級の陵墓である仁徳天皇陵、履中天皇陵、反正天皇陵などが並ぶ百舌鳥古墳群を見渡すのに絶好のスポット。地上80mの展望室からは、晴れた日には関西国際空港から明石海峡大橋、六甲山、生駒山、金剛山、大阪城天守閣まで見渡すことができる。夜景も素敵だが、意外に知られていないため、穴場的な存在。喫茶コーナーもあるのでのんびりとくつろげる。元日には金剛山から昇る初日の出を拝むことができる。
昭和32年に、南海電鉄創業70周年記念事業として設立されたファミリーで楽しめる海辺の遊園地。広大な海岸丘陵地に、地形を生かして、海を見下ろす観覧車やジェットコースター、サイクルモノレール、メリーゴーランドなどの乗り物が設置されている。キリンやシマウマ、レッサーバンダ、トラなどが飼育される動物園も併設され、ヤギやミニブタ、ウサギなどの小動物に、餌を与えたり、ふれ合いが楽しめる「動物ふれあい広場」(入場料200円、餌代100円)や夏期はプールもオープンする。また、イルカやアシカのショーが開催されるイルカ館や、観光灯台も設置され、晴れた日には、関西国際空港や明石海峡大橋を眺望することができる。
大阪湾の泉州沖に造られた海上空港。航空関係者は空港コードのKIXから「キックス」と呼ぶ。ターミナルビルはイタリアの有名建築家・レンゾ・ピアノ氏設計による鳥をイメージした建物。旅客ターミナルビルのほか、ホテル日航関西空港やレストラン街のある「エアロプラザ」、 関空展望ホール「スカイビュー」がある(ターミナルビル前からの連絡バスで6分)。離発着の見学などは「スカイビュー」へ。4階・5階の展望フロアからは離発着する世界50社の機体を眺めることができる。飛行機の就航案内掲示板が設置され、見知らぬマークの航空会社も社名をチェックできる仕組み。展望デッキにはウッドデッキのほか「スカイビューカフェ」もあり、くつろぐことができる。夜はイルミネーションも素敵でデートにもぴったり。遊覧飛行シミュレータ、関空フライトアカデミー、関空フライトシミュレータなど体験アトラクションが揃った「スカイミュージアム」もファミリーやカップルに大人気。レストランフロアでは、関空発の国際線でサーブされる機内食が気軽に楽しめるレストラン「レジェンド オブ コンコルド」がある。予約すればファーストクラスのフルコースも堪能できる。ショッピングフロアでは航空絵画専門店「アートギャラリーイーグル」など航空関連ショップ14店が入居し、楽しめる。
第29代・欽明天皇が病気治癒の勅願により行満上人によって開山した、仏教伝来と推定される538年頃の創建と伝わる日本有数の古刹。標高485mの槇尾山山腹(和泉市)にある修験道の寺で、険しい山道を登り、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)、和泉の高僧・行基や空海(弘法大師)もここで修行を積んだと伝えられる。役行者が葛城の峰々に法華経を納めたとき、最後にこの山に納経したので巻(まき)の尾として山号の由来になった。今も全国各札所の巡礼が終わった際に槇尾山施福寺(槇尾寺)に写経を納める人が多く「納経の寺」としても有名。西国三十三ヶ所の4番札所で山道を登ることから「難所」のひとつといわれている。国定公園や「大阪みどりの百選」に指定された周辺の自然、境内から見渡せる岩湧山や三国山など和泉山脈の雄大な景色は、疲れを忘れさせてくれる。後白河上皇、後鳥羽上皇などの加護によって、800坊を誇る大寺院だったが織田信長の兵火や弘化年間(1844年〜1848年)の火災で焼失。現存する堂宇は豊臣秀頼の再建以降のもの。国の重要文化財である紙本墨書槇尾山大縁起は有名。
葛城山(858m)の北麓、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)の開創と伝えられる古刹で、かつては48もの僧房をもつ葛城修験の一霊場として栄えた。古くから、紅葉の名所としても有名で、24haにも及ぶ寺域は府の名勝に指定されている。紅葉は例年10月下旬に始まり、11月中旬〜11月下旬に見頃を迎える。京都・高雄と並び称される紅葉の人気スポットだ。千両カエデがすっぽりと寺を覆いつくし、ひっそりと佇む古刹は美しく彩られる。例年11月23日には「牛滝山もみじまつり」が開催される。寺の背後にはシラカシ、ウラジロガシの自然林も残される自然郷だ。室町時代の建築様式を残した多宝堂は、国の重要文化財。
1334(建武元)年、楠正成が和田高家に命じ、岸と呼ばれていた地に城を築いたのが岸和田城の始まり。和田氏はこの地を根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりともなった。その場所は「和田氏居城伝説地」といわれ、現在の城の東側400mの照日山(てるひやま=現・野田町1丁目)に城は築かれていた。近世的な城は1587(天正15)年、豊臣秀吉の命で小出秀政が1万石で岸和田に入封し、城郭の整備と天守の建築に取りかかり、1597(慶長2)年に天守が完成。その際の縄張りが、本丸と二の丸を重ねた形が機(はた)の縦糸を巻く器具「ちきり」に似ているところから別名「千亀利城」(ちきりじょう)と呼ばれるようになった。1640(寛永17)年、徳川御三家・紀州藩の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)に異心があるとして、その監視役として岡部宣勝(おかべのぶかつ)が高槻から6万石で入城。以後、岸和田藩は岡部氏の13代が続き、明治維新を迎える。天守は雷火で1827(文政10)年に焼失。
紀見峠から加太の岬まで大阪府と和歌山の境に連なる和泉山地の主峰。奈良県と大阪府の境にある葛城山と差別化するため和泉葛城山と呼ぶが正式名は葛城山で標高858m。古くから葛城修験道の行場として栄え、山頂に葛城神社、八大竜王社が鎮座する。山頂からの眺めは素晴らしく、展望台からは大阪湾や和泉平野、高野山などを一望にする。山頂北側斜面に広がるブナ林はブナの南限地に近く、八大竜王社の社寺林として伐採を禁じられていたため奇跡的に残った貴重なもので国の天然記念物となっている。イノシシ、ホンドリス、テンなどのほ乳類や100種を越える鳥類など多様な生物が生息。登山コースは、岸和田市側からの牛滝山大威徳寺(お地蔵さんコース)、塔原(とのはら=ブナ林コース)、貝塚市側からの蕎原(そぶら)、尾根沿いに歩く鍋谷峠など。いずれのコースも1時間ほどで山頂まで到達できる。山頂までは塔原地区から本谷林道、牛滝地区から牛滝林道、神通大橋から紀泉高原スカイライン(林道)を利用して歩かず登ることも可能。
社伝では、10代崇神天皇8年(西暦前90年)創建と伝えられる古社。仁徳天皇陵の北、反正天皇陵(田出井山古墳)に隣接し、河内・和泉・摂津の三国境で三国山、三国丘と称される地に建つ。現在の堺市堺区の地名の由来もこの三国境にある。どこの国にも属さない方位のない清い場所であるということから方除祈願で知られ、旅行や新築・転居の際の厄除けに訪れる人が多い。熊野詣の途中にあるため、旅人が道中の安全祈願に立ち寄ることも多かったという。神功皇后が方違の祓をされた故事にちなんで5月31日には悪方位祓いのちまきを奉る例大祭「粽祭」(ちまきまつり)も行なわれる。
1562(永禄5)年、摂津・河内・和泉3国を領有した三好義賢(実休)が京・頂妙寺の日晄(にっこう)に帰依、東西3丁・南北5丁の境内地と蘇鉄の木を寄進したことに始まる。1868(慶応4)年に警備中の土佐藩六番隊(隊長箕浦猪之吉)、八番隊(隊長西村左平次)が上陸していたフランス人水兵と争いを起こしフランス側に即死2名、溺死7名、負傷7名の被害を生んだ堺事件で、土佐藩兵11人が自刃した場所(本堂前・広庭)としても知られる。亡骸は向かいの国の史跡である宝珠院に葬られ、供養碑が境内に建てられている(フランス人水兵の亡骸は、神戸市旧居留地外人墓地に葬られている)。三好義賢寄進の大ソテツは高さ7m、周囲17m、推定樹齢1100年で国の天然記念物に指定される巨樹。織田信長が安土城に移植した際、「妙国寺へ帰りたい」と毎夜ソテツは泣き続け、恐れを覚えた信長が返したという伝説を持つ。
大山古墳(仁徳天皇陵)とミサンザイ古墳(履中天皇陵)の間に広がる81haの緑豊かな大仙公園。大阪農学校(現・大阪府立大学農学部)の実験用農地だった場所で、昭和41年、大阪府立大学農学部の移転にともなって公園として整備された。「日本の都市公園100選」に選定された公園は、芝生広場を中心に高さ60mのシンボルタワー・平和塔、「堺市博物館」、「自転車博物館」、「堺市都市緑化センター」、植物園、築山林泉回遊式庭園、茶室「伸庵」(しんあん)、茶室「黄梅庵」(おうばいあん)がある。小高い丘に咲く桜や日本庭園の見事なボタン、トケイソウなど、見ごたえのある季節の花々を愛でながら、のんびりと過ごせる。


