百済が滅亡した時の最期の国王・義慈王(ぎじおう)から数えて4代目の百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく・698年〜766年)が8世紀の中頃に氏寺として建てた寺跡で、国の特別史跡。昭和43年には全国初の史跡公園として整備され、跡地には基壇と礎石が復元されている。7世紀後半の瓦などが発掘され、さらに百済寺跡の下層から大型建物跡が発見されている。つまり百済が滅亡後、百済王の一族はこの地に逃れ、大邸宅を築いたと推定できる。その大邸宅の跡地に大寺院を開いたのだ。百済寺を建てたとされる百済王敬福は、東大寺造営時に砂金を献上した功績で河内守に任ぜられている。金堂、講堂などを中心に東塔と西塔を配する伽藍様式は新羅の感恩寺と類似し、故郷の寺の伽藍配置を採用したと想像できる。
特ダネ情報!
百済寺跡の西側には百済王を祭神とする百済王神社がある。創建は百済寺と同じ頃と推定され、百済寺は鎌倉時代に廃寺となっているが、神社は今も地域の氏神として支えられている。また「百済寺跡の松風」は、枚方八景のひとつに指定されており、その名のとおり、松の間を駆け抜けるさわやかな風が情緒を感じさせる。

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